三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第86回は、国立大学の学費を年間150万円程度に引き上げるよう訴えて大炎上した、慶應トップの発言を取り上げる。
富裕層の子女が通う慶應のトップが…
藤田家の御曹司・慎司は、投資部の資産運用益で学費を無料とする道塾学園の在り方は時代遅れだと断じる。子どもを塾通いさせられる裕福な家庭には応分の教育費負担を求め、一方で貧困に苦しむ家庭に無償で教育機会を与える新しい仕組みが必要と説く。
慎司の道塾改革案は物議をかもした「国立大学の学費を150万円に値上げせよ」という伊藤公平・慶応義塾長の提言と通じるものがある。
中央教育審議会(中教審)の特別部会委員である伊藤氏は、高等教育の質向上が急務という危機感を抱く。教育水準を高めるためには資金が必要であり、受益者負担とすべきだから学費引き上げを、という趣旨だ。伊藤氏の主張と発言は5月9日付日本経済新聞のインタビューを参照している。
この提言が「教育格差を助長する」と批判を浴びたのは、富裕層の子女が通うイメージが強い慶応のトップの発言だったことが一因だろう。もっとも、伊藤氏は給付型奨学金の拡充や地方大学の活性化も含め、高等教育全体の改革が必要と語っており、財政や大学の競争促進・淘汰など視野は広く、深い。
学費大幅引き上げ論だけに焦点を当てるのは建設的ではないかもしれないが、紙幅もあり、ここではその点に絞って私の違和感をまとめておく。
このコラムでも以前書いた通り、私の持論は「最良の少子化対策は大学で含めた教育の無償化」であり、伊藤氏とは真逆の方向性だ。
「困っている人」が見えているのか?
伊藤氏の「余裕のある人には学費をしっかり払ってほしい」「経済的に少しでも困る人には、給付型奨学金を充実させるべきだ」という言葉は正論に聞こえる。
だが、「余裕がある人」とはどの程度を指すのだろう。「世帯収入1000万円以上で子ども1人」なら「余裕」なのだろうか。小学校から塾通いが当たり前の都内在住だと、実際はそれほど楽ではないだろう。子どもが2人ならかなり大変だし、我が家のように3人いれば相当厳しい。だから私の口癖が「国公立でお願いします!」なわけだ。
少子化対策として多子家庭への学費援助・免除や奨学金などを組み合わせる手はあるが、私なら、国公立の学費を突然3倍にするような政府を当てにして2人目、3人目を持とうとは考えない。ハシゴを外されたら一気に自分と子どもの人生の選択肢が狭くなってしまう。
逆に「困る人」とはどの程度だろうか。「150万円×4年=600万円の借金を抱えて社会人になっても自力で学費を返済できる収入が見込める人」は「困らない人」だろうか。そんな重荷を背負って20~30代を過ごせば、高等教育の成果をさらに伸ばす自己投資は難しく、結婚・出産にもブレーキになるだろう。それは「困る」に入らないのか。
伊藤氏は「踏み込んだ議論をしていくため、あえて『150万円』という数字に言及した」と言う。だが、実感として、現状は「余裕がある人」どころか、「困る人」や「すでに困っている人」だらけであって、大幅値上げ論は絵に描いた餅に私の目には映る。
伊藤氏のインタビューでもっとも共感したのは「国がどこに力を入れたいかの問題だ。給付型の奨学金を徹底的に充実させてほしい」という言葉だ。先のリンクのコラムにも記した通り、「教育ほどリターンの高い投資はない」が私の持論だ。もし国が教育に力を入れる気があるなら、「大幅値上げ」は誤ったメッセージではなかろうかと愚考する。