今なお影響力を持つ独自理論
文化人類学者・山口昌男の足跡

 日本の文化人類学の現代史をたどりつつ、山口昌男さん(1931-2013)の足跡を振り返ってみます(以下、一部敬称略)。

 自然人類学は民族による形質の差異を研究する科学ですが、文化人類学は地球上の文明・文化の差異を解明する学問です。文化人類学者は民族や自然環境による文明進化の違い、あるいは同質性について、さまざまな学説を送り出してきました。

 日本では京都大学出身の今西錦司(1902-92)、中尾佐助(1916-93)、梅棹忠夫(1920-2010)、川喜田二郎(1920-2009)、上山春平(1922-2012)、伊谷純一郎(1926-2001)などがよく知られています。

 文化人類学は幅が広く、文系と理系のあいだにありますが、京都大学出身の学者(新京都学派という)は主に理系の学部出身で、緻密な自然観察、フィールドワーク、探検を行ない、それぞれ具体的に記述し、理論化してきました。

 たとえば、今西錦司が進化論を「棲み分け理論」として再構築し、梅棹忠夫は「文明の生態史観」で自然環境の観察からユーラシア大陸の歴史を編み直します。中尾佐助、上山春平の「照葉樹林文化論」は、チベットから日本にいたる照葉樹林帯の文化的関連を解明します。

 1960年代後半には、文化人類学者がフィールドワークのノウハウを一般向けに公開し、アカデミックな研究手法を一般の知的ノウハウに再編成してベストセラーを生みました。

 それが梅棹忠夫著『知的生産の技術』(岩波新書、1969)や川喜田二郎著『発想法』(中公新書、1967)です。現在も版を重ねているロングセラーです。

 筆者は80年代に、50代から60代に年齢を重ねていた文化人類学者の知的ノウハウをビジネスマン向けに紹介する記事を月刊誌「BOX」で何度か編みました。なかでも川喜田二郎は、独自の「発想法」をビジネスマン向けのハウツーとして伝授する「KJ法道場」を東京で開いていましたから、非常に実践的で驚きました。梅棹忠夫の「京大式カード」は市販され、パソコンの登場までビジネスマンの重要なツールとなったのです。

 そこで、梅棹忠夫や川喜田二郎より10歳下の世代に属する東京の代表的な文化人類学者として、山口昌男さんの知的ノウハウを取り上げることにしたのです。当時、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授としてマスメディアで八面六臂の活躍をしていました。

 山口昌男さんは70年代に『文化と両義性』(岩波書店、1975、岩波現代文庫、2000)、『知の祝祭――文化における中心と周縁』(青土社、1979、河出文庫、1988)、『道化の宇宙』(白水社、1980、講談社文庫、1985)といった魅力的な著作を連発し、「中心と周縁」「両義性」「トリックスター」などのコンセプトをもって現実社会の分析や音楽論、美術論まで展開していました。これらの「山口理論」は現在でも強い文化的影響力があります。