幕末から明治へ。社会が一回転するほどのパラダイム変化によって、それまでの特権階級は崩壊し、新たな格差が生まれていった。時代の転換期に生き残れる人、生き残れない人の違いとは何か?現代にも通じる変化の時代に必要な3つの要素を、幕末・明治の転換期に書かれた大ベストセラー『学問のすすめ』から読む。

幕末のパラダイム変化で
生き残れた人、生き残れなかった人

 幕末から明治初期は、300年間続いた武士階級が消滅してしまうという驚くほどの激動期でした。ビジネス書などで指摘されるように、「パラダイム」が変化して、古いパラダイムの中にいた存在の多くが淘汰されてしまった時代と考えることができるのです。

 では、パラダイムとは一体なんでしょう?

 一般的には、パラダイムは支配的な考え方や枠組み、という意味合いで使われます。1970年代、日本企業の攻勢で大打撃を受けた米国企業を蘇らせた人物のひとりと言われる、ジョエル・パーカーは書籍『パラダイムの魔力』(日経BPマーケティング)で、パライダムとは必ずしも成文化されているわけではないルールと規範として、以下のように定義しています。

(1)境界を明確にする
(2)成功するために、境界内でどう行動すればよいかを教えてくれるもの

 例えば、武士社会ではどのようにふるまうべきか、武士とはどう考えてどう行動するかの決まり(支配的な枠組み)が存在しており、その通りに行動することで評価されました。江戸幕府の300年間にあらゆる階層のルールや規範が固定化したと考えることもできるでしょう。固定されたルールがあれば、それに順応する人が出現するのも当然です。

 ところが江戸幕府とサムライが消滅したように、慣れ親しんでいたパラダイムが大きく変化する時、社会が激変し、その規範の中にいた人たちは過去の基盤を失います。パラダイムの変化で起きる影響は、まさに幕末明治を彷彿とさせるのです。

(1)古いパラダイムが有効な時期は、それに順応した者が成功者となる
(2)現パラダイムで解決できない問題が積み上がることが、変化のトリガーとなる
(3)古いパラダイムに親しんだ者は、パラダイム交代と共に沈没する
(4)古いパラダイムの崩壊は、それに挑戦する人たちに大きな飛躍のチャンスとなる

 幕府の武家制度が有効だった時期、幕府の武士としての伝統的な規範に従うことが成功の道であり、それに適応したものが高く評価されました。

 ペリーの黒船来航で西洋列強と本格的に接触しても、グローバル化に対応できなかった江戸幕府が、解決できない問題を積み上げたことでパラダイム変化のトリガーが引かれたのです(江戸幕府が理想的な形で外交問題を処理したら、どうなっていたか)。

 ご存じのように1868年に明治維新が起きて武家社会は崩壊し、数年後には武士の身分制度は消失しました。問題解決ができない彼らは、得ていた既得権益をすべて失ったのです。

 硬直的な江戸幕府に対して、新しい時代を創り上げようとした志士や洋学者たちは、ある者は新政府の元勲となり、ある者は豪商になり、ある者は日本を代表する教育者・啓蒙思想家になりました。大変動の前後で、福沢諭吉は中津藩の下級武士の出身ながら、明治の初期には日本を代表する啓蒙思想家となり、私財で慶應義塾を拡大するほどの人物となったのです。

 下級武士の家に生まれた諭吉は、上士の子は上士、下士の子は下士という厳しい身分制度の中で生活し、その不条理さに嫌気がさす青年時代を送りますが、新たに出現した問題の解決ができない幕府の崩壊で、社会が一回転するほどの変化も体験したのです。