2001年に小泉政権が誕生し、民間人ながら経済財政政策担当大臣として入閣した竹中平蔵さんに請われて補佐官に就任したのもそう。霞が関は反・構造改革一色だったから、竹中さんの側についたら、もう経産省には戻れないかもしれない。でも、そんなリスクも考えず、「わかりました!」と即答していた。

 その小泉政権が終わった2006年に、慶應義塾大学のとある教授に「新しい大学院を立ち上げるので手伝ってよ」と声をかけられた時も、大恩人のひとりである坂本龍一さんが、当時所属していたエイベックスに誘ってくれた時も、即座にOKした。

 なんだか行き当たりばったりのようだが、積極的に未知の世界に飛び込まないと、新しい経験はできないという思いがあったからだ。

 どれも、これまでの人生では得られなかった体験ができ、刺激を得られ、さまざまな分野の新しい人と出会えた。当時僕は、間違いなく人生をエンジョイしていたと断言できる。だけど、もう15年以上、僕の人生、特に仕事に関しては大きな変化はない。そのことを、入院中に再認識してしまったのだ。