「反省するけど後悔しない」の意味
私のモットーの1つに、「反省するけど後悔しない」があります。
私が大宮営業所長のとき、雇用問題で訴えられ、会社から戒告処分を受けたことがありました。
採用については私が悪いのですが、そんなに重い処分をもらうとは思っていませんでした。周囲の人たちも「いくら何でも戒告は重すぎる」と言ってくれました。
でも私は、会社を恨んだりしませんでした。
見方を変えれば、戒告処分も会社員の勲章のようなものです。
ある上司は、
「三浦さん、ついに勲章もらったね。オレたちもみんなもらっているから。うちの会社は結構勲章をくれるんだよ」
と声をかけてくれました。私も、
「そうですよね。これでようやく一人前ですよね」
と笑いました。
それに訴えられたことで、安易に人を採用するとトラブルにつながることに気づけました。2度と同じ失敗を繰り返さずにすみます。
私の部下たちも勉強になったはずです。
彼らの面接の仕方も変わりますし、たとえ人が足りなくても、迷ったら採用しないという毅然とした態度を貫くようになるでしょう。
そうなれば、いい人しか集まらなくなり、働きやすい職場になっていきます。
そう考えると、訴えられたことも処分を受けたことも「勉強になってよかった。感謝しなくちゃ」と前向きに考えられるようになったのです。
がん告知を受けた当初は、「なんで私なのか」
私は2012年の8月末頃から体調を崩しました。
おなかがすくのに食べると気分が悪くなるので、「食べるのが怖い」という感じになりましたが、しばらくすると、便秘と下痢を繰り返し、大量の血便が出ました。
そして、大腸内視鏡検査の結果、S状結腸に大腸がんが見つかりました。
腸閉塞を起こしかけているという診断でそのまま入院となり、1週間後の開腹手術ということになってしまったのです。
「入院期間は未定、臓器の転移も未確認」という状況でのいきなりのがん告知だったので、私や家族は、「1年は持たないのか」と勝手に覚悟しました。
がんそのものの大きさも“タマゴ大”との説明で、医師たちは楽観的なことはひと言も言いませんでした。
告知を受けた当初、「なんで私なのか」と思いました。
でも、そういうことを思ったらきりがないから、切り替えようとしました。
常日頃から「明日死んでも大丈夫」と豪語してきました。それで私が落ち込んだら、「いままでやってきたことと違う」と思ったからです。
「ここで泣いたら、死ぬまで泣いて暮らさなくてはいけない。いま涙を流したら、ここから先、涙を止めることはできないだろう。だから泣いちゃダメなんだ」
泣いてしまったら、そこからはずっと後悔してしまう。
私のモットーの1つに、「反省するけど後悔しない」があります。
たしかに、私の反省点は数多くあります。
会社の簡易的な健康診断は受けましたが、きちんと体の管理をせず、人間ドックなどはやってきませんでした。
それはこれから改めるとしても、この3年間の激務を悔やんだりはしませんでした。
1つだけ、「8歳の孫が高校生になるのを見られないのは残念だ」という思いが浮かんできました。それにはあと7年かかります。
でも孫はほかにもいます。6歳の孫が高校生になるのは9年後、3歳の孫が高校生になるのは12年後です。
もっと、もっとと思う気持ちがとどまることはないのです。
「きりがない。やめよう」
こうしてすっぱりと思いを断ち切ることにしたのです。
自分で心のスイッチを切り替えて楽しく生きることができれば、苦労なんか存在しません。「世の中には幸も不幸もない。どう感じるかだけだ」というシェイクスピアの言葉がありますが、まさにそのとおりなのです。
2012年10月30日に4時間半かけて、大腸15センチとリンパ節4本の切除手術を受けました。
がんそのものの大きさは意外と小さく2センチ程度だったそうです。
「リンパ節への転移は間違いなくあるでしょう」
と、執刀医からの説明で「ステージ3aくらい」との告知を家族は受けていたそうです。
しかし、手術2週間後の病理検査の結果、なんとリンパ節への転移がなかったという報告を担当医から受けました。
これには私も家族も聞いた瞬間は半信半疑でしたが、結果としてステージは下がり、抗がん剤の治療はいまのところなくりました。
事実を冷静に受け止め、「反省するけど後悔しない」。
常に前向きに楽しく、楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなる、という私の信条が、身体にたくさんの免疫力をつけてくれたのかもしれない。
いまはそんなふうに思っています。