物価高騰、超コスパ時代。1万円の料理は千円の10倍おいしいのか? 「安くてうまい」が本当に最強なのだろうか? そんな疑問の答えを導き、人生をより豊かにする知的体験=美食と再定義するのが書籍『美食の教養』だ。イェール大を卒業後、世界127カ国・地域を食べ歩く著者の浜田岳文氏が、美食哲学から世界各国料理の歴史、未来予測まで、食の世界が広がるエピソードを語っている。「うなずきの連続。共感しながら一気に読んだ」「知らなかった食文化に触れて、解像度が爆上がりした!」と食べ手からも、料理人からも絶賛の声が広がっている。本稿では、その内容の一部を特別に掲載する。

キャビア、カニ、マグロ…快楽的な「うまさ」に溺れる客と店の悲惨な末路とは?Photo: Adobe Stock

おいしいだけの料理の先にあるものは?

 この5年ほどで、食に興味を持つ若い人が増えてきているように思います。それこそ数万円の高級店に行ったりすることが、趣味として認知されてきている。20代前半、中には学生もいます。

 若くして財を成したり親のお金で食べ歩いたりしている人もいますが、中にはアルバイトをして貯めたお金で高級店に食べに行く人もいます。僕の食べ歩き仲間の1人も、地方に食べに行くときは交通費を抑え、時間を効率的に使えるよう、深夜バスで行ったりしています。

 食への興味がその背後にある文化や歴史、社会への興味につながるのであれば、それは大変有意義なことだと思います。また、若い食べ手が若い作り手と呼応することで、新たな食文化が生まれるようであれば、料理の世界にとってもいいことだと思います。

 反面、料理や食文化に向き合いたいという人たちだけではなく、単純に「うまい」という感覚的な快楽のために食べている人たちも増えてきているように思います。もちろん、感覚的においしいと思えることは大事なことです。脳が刺激される「うまい」は、料理が成立するうえで大事な要素です。しかし、食というのは、それだけではないという思いも同時にあるのです。

 実際、うまいだけの料理を作るのは、それほど難しくありません。たとえば、料理の素人である僕が適当に茹でたパスタに最高級のキャビアを1缶どんとかける。間違いなく、「うまい」。まずくなりようがない。しかし、僕は、これを料理とはみなしていません。

 優れた料理人の手によって、どこにでもある食材、誰にでも手に入る食材がびっくりするくらい美味しい料理として生まれ変わる。これこそ本当にすごいと思うし、感動します。こういう料理の背景には、シェフ独自のクリエイティビティがあったり、代々受け継がれてきた技術があったりする。ここにこそ、僕は魅力を感じるのです。

衝撃を受けたキャビアのソース

 高級食材ももちろん食べます。ただ、それを使うことでより一層美味しくできるようでないと、料理人の付加価値はありません。

 たとえば、パリの名店「ル・クラランス(Le Clarence)」ではキャビアが使われていたのですが、なんとそのままの状態ではなく、すり潰してソースになっていました。キャビアを使っていますよ、とこれ見よがしにそのままの形で見せることなく、ソースにしてしまう度胸。そして、その結果としての料理の完成度の高さと、キャビアの用いられ方の必然性に感動しました。高級食材は、ただでさえ「うまい」のだから、これぐらいの確信と覚悟を持って使ってほしいものです。

 逆に、東京の某有名日本料理店は、高級食材を多用するのですが、1+1=2どころか1.5の料理が頻繁に登場します。つまり、食材の組み合わせが掛け算になっていないどころか、足し算としてもマイナスになっているのです。このお店はレストランガイドで高評価を得ていますが、多分1.5が1より大きいから定量的には優れているということなのでしょう。ただ、僕はそういうお店に行くと、食材がもったいないと思いますし、1+1が2.5や3になるような料理でないことにがっかりします。

 食べ手が喜ぶからといって、まずくなりようがない食材を大して手もかけずに出すだけのお店は、自らの存在意義を否定しているともいえます。だって、わざわざ外食しなくても、同じ食材を家に取り寄せて食べればいい、となってしまいますから。

技術こそ評価されるすべき

 そして、享楽的なおいしさだけを追求していくと、リスクも待ち構えています。ここ数年、インフレや気候変動など複合的な要因で、食材の価格が高騰しています。たとえばズワイガニは、5年ほど前まで1杯が1万円ほどで食べられたものが、今や最高峰のものは時期によって数十万円します。こうなると、食べる機会が減ってしまうのは確実です。

 あるいは、銀座の名店「すきやばし次郎」の小野二郎さんとお話ししたときに、昔は捨てていたようなマグロを今は使わざるを得ない、とおっしゃっていました。いくら食材の扱いや流通など人間が努力できる範囲内で進歩があったとしても、少なくとも魚介に関しては昔より美味しくなるということはなさそうです。そうすると、食材のポテンシャルに全面的に依存した料理も、同様に質が下がっていく危険性があります。

 この現状を踏まえると、ただ「うまい」だけの料理を賞賛することには未来がないのは自明だと思います。今こそ、技術とアイデアで美味しくすることが大事であり、それが正当に評価される時代になっていくことを望みます。

(本稿は書籍『美食の教養 世界一の美食家が知っていること』より一部を抜粋・編集したものです)

浜田岳文(はまだ・たけふみ)
1974年兵庫県宝塚市生まれ。米国・イェール大学卒業(政治学専攻)。大学在学中、学生寮のまずい食事から逃れるため、ニューヨークを中心に食べ歩きを開始。卒業後、本格的に美食を追求するためフランス・パリに留学。南極から北朝鮮まで、世界約127カ国・地域を踏破。一年の5ヵ月を海外、3ヵ月を東京、4ヵ月を地方で食べ歩く。2017年度「世界のベストレストラン50」全50軒を踏破。「OAD世界のトップレストラン(OAD Top Restaurants)」のレビュアーランキングでは2018年度から6年連続第1位にランクイン。国内のみならず、世界のさまざまなジャンルのトップシェフと交流を持ち、インターネットや雑誌など国内外のメディアで食や旅に関する情報を発信中。株式会社アクセス・オール・エリアの代表としては、エンターテインメントや食の領域で数社のアドバイザーを務めつつ、食関連スタートアップへの出資も行っている。