101歳、現役の化粧品販売員として活躍している堀野智子(トモコ)さん。累計売上高は約1億3000万円で、「最高齢のビューティーアドバイザー」としてギネス世界記録に認定されたキャリア61年のトモコさんが、年をとるほど働くのが楽しくなる50の知恵を初公開した話題の書『101歳、現役の化粧品販売員 トモコさんの一生楽しく働く教え』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものをお送りする。佐藤優氏(作家・元外務省主任分析官)が「堀野氏の技法は、ヒュミント(人間による情報収集活動)にも応用できる」と絶賛(日刊ゲンダイ・週末オススメ本ミシュラン)する世界一の先輩による“人生訓”は、アナタの疲れた心を元気にしてくれる!

【101歳 世界最高齢の現役営業】大変と思う余裕もないほど必死になれば、二足のわらじならぬ「三足のわらじ」だって履けると断言するワケ写真:POLA提供

箱づくりの内職と
果樹畑の手伝いと

夫に頼らず自分で稼ぐため、わが家の生活を支えていた箱づくりの内職ですが、仕事が切れることのあるのが玉に瑕(きず)でした。

そんなときに備えて、私はもう1つの収入源を確保していました。それは、果樹畑の手伝いでした。近所に梨畑があったので、「私にも手伝わせてもらえない?」と持ちかけたのです。

兼業農家の旦那さんの仕事が休みの日は、夫婦2人で作業していましたが、普段は奥さんが1人で作業していたので、「手伝ってもらえると、こちらも助かるわ!」と、とても喜ばれました。

やってみれば
なんでも学びがある

手伝ってみて初めて知ったのですが、出荷できるような品質の果物をつくるには、間引く作業がとても重要なんですね。

多いときだと1本の枝にたくさんの実がなるのですが、早い段階でよさそうなのを2つ、多くても3つくらい残して、あとは全部間引いてしまいます。

大きくなってくると、鳥に食われないように袋をかける作業をしなければなりません。紐(ひも)で、口を縛ってね。高いところでの作業ですし、ずっと上を向いていなければならないので、それなりに体力のいる仕事でした。

三足のわらじを履いて
年がら年中は働く

梨畑で働く私の姿を見て、別のリンゴ農家の奥さんが「うちの手伝いもしてくれない?」と声をかけてくれて、二足のわらじならぬ三足のわらじを履くようになりました。

梨農家からもリンゴ農家からも頻繁にお手伝いを頼まれたので、年がら年中働いていましたね。

当時は、私もまだ30歳になるかならないかくらい。若くて体も丈夫だったので、少しもこたえませんでしたが、今にしてみるとよくやったなと思います。

子育てしながら
仕事にフル回転

梨農家のお手伝いに行くようになったころには、子どもが3人に増えていました。いちばん上が昭和22年生まれの女の子、次が昭和25年生まれの男の子、末っ子がその翌年の昭和26年に生まれた女の子です。

こう言うと、「えっ? そんなに立て続けに生んで、子育てしながら仕事をするのは大変だったでしょう?」と言われるのですが、実はよく覚えていないんです。

「とにかく働かないと食べるものに不自由してしまう!」という思いが強く、毎日毎日が必死すぎて、「大変」と感じる余裕もなかったというのが正直なところです。

仕事をしていたから子どもは
呆れられそうなほど放任

ただ1つ覚えているのは、いつも子どもを目の端に入れておけるようにしていたこと。当時の福島には、私の知る限り、母親が働いている間、子どもを預かってくれるところはありませんでした。

だからといって、3人の幼い子どもたちを置いて、働きに出るわけにもいきません。その点、家でできる内職は、とてもありがたい仕事だったんです。

農家のお手伝いには、まだ幼かった子を連れて行きました。先方にも同じ年ごろのお子さんがいたので、コロコロと子犬のようにじゃれ合って遊んでいました。

子育てに関して、私は今の人には呆れられそうなほど放任していました。なぜなら子どもには、食べさせるので精一杯。細やかに相手をしてやれるほどの余裕はなかったのです。無事に育ってくれたことに、感謝しかありません。

※本稿は、『101歳、現役の化粧品販売員 トモコさんの一生楽しく働く教え』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。