お金持ちの家に生まれ育ち、大学を卒業して間もなく結婚。3人の子どもを授かるも離婚した。実家に出戻ったものの、父親の会社が倒産し、49歳で住む家を失ったついには預金通帳の残高がほぼ0円に……それまでとはうって変わって赤貧生活に陥り、裸一貫で整体院で働くようになった。自分の力で人生を切り拓いてきたとき、今度は末期寸前のがんを患うことに。そんな波乱の人生を乗り越えて「今がいちばん幸せ!」と断言する『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)の著者が、毎朝起きるの楽しくなるライフスタイルを【人間関係】【食事】【睡眠】【健康】【メンタル】【ファッション】【インテリア】【パソコン】とテーマごとに紹介する。
※本稿は『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

【極上の老い方】老いてこそのファッションの鉄則・ベスト1Photo: Adobe Stock

老いてこその
ファッションの鉄則

私のファッションについてのポリシーは、「個性的であること」。ファッションは、「自分をもっとも自分らしく見せる手段」だと思っているからです。

「三つ子の魂百まで」といいますが、思えば私はもの心がついたときから「こんな服が着てみたい」と思うような子どもでした。

当時の阪神間の女の子の服といえば、「ファミリア」に代表される上品なものがメイン。私の母もオーソドックスなのがいちばんと考える人だったので、ファミリアを参考に服をつくってくれました。

世間一般に同調する
「この服、なんか違う」

そう、当時はまだ子ども服ブランドは少なく、洋裁のできる母親が多かったので、たいていの家では母親が仕立てた服を着ていたと思います。

実のところ私は、母が縫ってくれる上品で子どもらしく見える服を「この服、なんか違う」と思いながら着ていました。

私の子ども時代といえば、昭和30年代です。まだ日本にさほど欧米のものが入ってくるような時代でもなく、海の向こうのファッションにまで興味を持つような年齢でもありませんでした。

マッシュルームカットのビートルズ
を見てビックリ仰天

1964(昭和39)年には全世帯の9割がテレビを持つようになり、それにより欧米文化が入りやすくなってきました。

それまで日本の狭い世界しか見たことのない私には衝撃なことが多かったです。特に衝撃的だったのは、「ビートルズ」とモデルの「ツイッギー」です。

ビートルズが来日したのは1966(昭和41)年のことでしたが、初めてマッシュルームカットの男性を見て、私だけでなく多くの日本人はビックリ仰天したのではないでしょうか。

自由なスタイルに
衝撃を受ける

「男は男らしく」が規範だった時代に、マッシュルームカットに代表される自由さは格別なものがあったと思います。

それ以上に私にとってインパクトが強かったのが、1967(昭和42)年に来日したモデルのツイッギーでした。

ツイッギーとは英語で「小枝」を意味しますが、それこそ小枝のように細い18歳の少女モデルが来日したのです。

女性美の概念を覆す存在

彼女は世界で初めて太ももが見えるミニスカートを考案したイギリスのデザイナー、マリー・クヮントの専属モデルで、ミニスカートからすらりと伸びた細い脚は可憐そのものでした。

それまでの「美しい女性はふくよかなもの」「できるだけ衣服で肌を覆うことがつつましい」とされた女性美の概念を覆す存在だったのです。若かった私は、その斬新さにすっかり心を奪われました。そして、これを機に日本のファッション業界に、新風が吹き荒れるようになりました。

三宅一生(イッセイ ミヤケ)や髙田賢三(ケンゾー)など、ファッションの本場パリに渡ったファッションデザイナーが大活躍し、強烈な個性を持った川久保玲(コム・デ・ギャルソン)など、それまでには見たこともないような洋服をつくるデザイナーたちが多数登場するようになったのです。

※本稿は『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。