初任地の小学校では上司から週に数回呼び出され、クラス運営について指導という名のパワハラを受けた。ときに涙することもあったが、「泣いても解決しない。どうにかしろよ」と一方的に責め立てられ、一緒に改善策を考えてもくれなかったという。診断書が出て休職が決まると、上司からは塾講師の道を選んだ教育実習生の話を引き合いに、遠回しに辞職を促された。

 教員になって3年目、人生を変える出来事があった。担任していたクラスの学級崩壊だ。

 物を投げ、周囲に暴力をふるい、教師の自分にも「死ね、クソばばあ」と暴言をはく児童がいた。暴力のきっかけは、いつもささいなことだった。問題の児童は授業中に手を挙げて、友香さんがほかの子を指名すると暴れた。親に相談すると、「うちの子が異常だと言いたいのか」「先生がちゃんとみていないからだ」などと責められ、協力は得られなかった。

 ほかの児童も授業に集中できない。なかには登校するのを怖がる児童もいた。目を離した隙に問題が起きないように、友香さんはトイレを我慢するようになった。クラスには発達障害を抱える児童や不登校気味の児童も在籍し、自宅に迎えに行くなどの対応が必要なときもあった。もう1人では無理だと、職員会議でクラスの状況を報告して、「助けてください」と訴えた。そのときの上司の言葉は忘れられない。