この時期、SGDから支給される笠置の月給は200円で、当時の若い女性がもらう給料としてはかなり高額だった。だがこの中から150円を大阪の両親に仕送りし、20円を寄宿している山口宅に支払い、残りの30円で衣服その他を賄ったのだから、笠置がいかに親孝行な娘だったかがわかる。

 どういう経緯かは不明なのだが、39年12月30日に公開された松竹下加茂映画『弥次喜多 大陸道中』に、笠置は出演した。歌う映画スター第1号と言われた高田浩吉主演映画で、戦前から作られたオペレッタ喜劇映画と思われる。おそらく笠置が歌うシーンも挿入されていると思われるが、この映画の資料がまったくない上に、フィルムが残されているかどうかもわからない。笠置がこの年に服部から贈られた曲は「日本娘のハリウッド見物」「ラッパと娘」「センチメンタル・ダイナ」の3曲で、そのどれかが映画の中で歌われたと思われる。