山内にそう語る服部は自信にあふれていた。すぐに服部の厳しいレッスンが始まり、7月公演の「グリーン・シャドウ」で服部は「ラッパと娘」を作曲した。笠置は舞台で黒人の娘に扮し、SGDスイングバンドの楽長でトランペッターの斉藤広義と掛け合いで歌った。
これはアメリカ映画『芸術家とモデル』という映画の中でルイ・アームストロングと掛け合いでマーサ・レイが歌ったシーンを服部が頭に描き、笠置のために作曲したものだった。
これが評判となって双葉十三郎も絶賛し、今日まで「日本ジャズ・ショーの傑作であった」(瀬川昌久著『ジャズで踊って』)といわれている。7月27日にスタジオで吹き込んだこの「ラッパと娘」が、笠置シヅ子のコロムビア専属第1回のレコードとなった。
若い女性としては破格の高月給
しかし多くを大阪の両親へ仕送り
実はこの「ラッパと娘」で、笠置は高音を殺して地声で歌うことを服部に命じられて、ついにのどを潰して病院で診察を受け、医者にしばらく歌うことを禁じられた。「ジャズの発声法は地声が自然なのだ」という服部の持論を実践した結果だったが、笠置は後悔するどころか、その足で舞台に戻って歌った。
自分が歌わないと服部が困るし舞台が成り立たない……、こうして笠置は歌手として第一歩を踏み出したと同時に、のどの痛みを我慢してでも歌いたいというプロ根性とショーマンシップを備えていく。