他にも特筆すべき雑誌がある。レビューや映画に深い造詣を持つ具眼の士で、戦前戦後を通じ多くの批評を書いた評論家の双葉十三郎は、1939年4月のSGD公演「カレッジ・スヰング」を観てたちまち笠置のファンになり、映画雑誌『スタア』39年6月上旬号で「笠置シヅ子論」を書いた。なんともチャーミングな顔写真つきでほぼ1頁、笠置を“スヰングの女王”と大絶賛したのである。
服部良一の尽力により
コロムビア専属歌手に
「凡そショー・ガールとして、またスヰング歌手として、当代笠置シヅ子に及ぶものはないであろう。……全く彼女は素晴らしい」と書く双葉の、笠置への惚れ込みようが伝わってくる。南部圭之助や野口久光も笠置に魅了され、たちまちファンになった。
1939年7月、笠置は服部の尽力で晴れてコロムビア専属歌手になる。服部良一が懇意のコロムビア文芸部の山内義富に、「おもしろい歌手が出るから見にこないか。夜光塗料を塗った衣装でね、いきなりオーケストラから飛び出すんだ」と言って誘い出したのは6月公演「ジャズ・スタア」のときだった。
「どうだ、おもしろいだろう。日本にこれほどジャズの雰囲気をもつ歌い手はあるまい。これからみっちり育ててみたい」