寄宿先の、演出家で笠置の身元引受人だった山口国敏はちょうど中国戦地に出征していて相談できず、笠置が相談する相手は服部良一しかいなかった。服部が「笠置君がやめるのなら僕もやめさせてもらう」と言ったことから、2人の間を誤解されてゴシップの種にもなったが、とりもなおさず服部が笠置のために奔走することになり、松竹と東宝の間で金銭問題が解決して笠置は松竹に留まることで解決した。

なぜ服部良一は笠置を
東宝から奪還したのか

 それにしても、服部はなぜ笠置を松竹に留めることに1人で尽力したのだろう。この頃から映画音楽も手掛けたいと強く希望していた服部自身、東宝を敵に回して松竹のためにあからさまに動くことはしたくなかったはずだが、将来ある笠置のために松竹との関係を懸念したからであり、師匠が弟子のピンチを救うのは当然だったかもしれない。この当時、笠置だけではなく芸人の移籍トラブルが多発していて、芸能界の大問題となっていた(象徴的なものが1937年の“林長二郎、後の長谷川一夫襲撃事件”だ)。