淡い片思いと経済問題が発端
東宝への移籍騒動の顛末
益田が在籍していた短い間、笠置は益田に気に入られ(笠置は振付けの蒲生重右衛門には嫌われていた)、笠置もまた2歳年上の益田にほのかな恋心を抱いていた。だから笠置は、益田からの東宝への誘いを断れなかったのだろう。後年、笠置は益田への感情は初恋のような淡い片思いだったと述べているが、むろん、笠置の気持ちは益田に伝わっていたと思われる。
益田に移籍を誘われた笠置は、東宝が経営する有楽座の事務所でひそかに樋口正美という人物と会い、月給300円という条件で移籍を承諾して契約書に調印した。松竹からもらう当時の笠置の月給は200円だったから、かなりの高待遇である。そのほとんどを実家に仕送りし、おまけにこの頃、養母のうめが病床にあって治療費が笠置の肩にかかり、経済問題から移籍を承諾したのである。
この年の笠置はSGDでの活躍に加え、レコードデビュー、映画出演などで人気は上昇していて、東宝にとっても魅力的な芸人だった。ところがこれを知った松竹幹部は激怒。笠置は団長の大谷博に呼ばれて叱責され、大谷の葉山の別荘で23日間、夫人の監視の下で監禁同様の身になるのである。