笠置は前田から3万円の入った預金通帳と印鑑を渡される。頴右が笠置と生まれてくる子どものために遺したものだ。同時に、笠置が吉本家からもらった“最初で最後の金”であり、笠置はそれを手に泣いた。これから生まれる子どもを頴右は「なぜひと目でも見て行かれなかったのだろう。神も仏もないと、私はすすり泣きながら天を怨んだ」と日記に書いている。

 5月28日、笠置は初めての出産なのに付き添ってくれる身寄りが1人もいないので心細く、頴右の浴衣と丹前が荷物の中にあるのを思い出し、それを産院の壁につるしてもらうと、いくぶん気丈夫になった。

 6月1日、笠置は陣痛に襲われると、壁から頴右の浴衣を外してもらい、それをグッと抱きしめた。とたんに彼の移り香が身体をつつみ、決してひとりぼっちでお産をするような気がしなかった。こうして愛する人の浴衣を抱きしめ、笠置は明け方に女児を生んだ。30歳をすぎての初産で心配していたが、元気な赤ん坊だった。

 6月3日、服部良一夫人の服部万里子、頴右の叔父・吉本興業の林正之助社長が見舞いに来る。6月5日、祝いに来た、同じく頴右の叔父で吉本興業の林弘高常務が、ヱイ子と筆太に命名書を書き、頴右の遺影の前に供える。