そこにはまっすぐに生きる笠置のいさぎよさ、自立した女性の矜持が感じられる。こうして笠置シヅ子は未婚の母になり、「乳飲み子を抱えたブギの女王」となった。この頃の映画雑誌にそんな笠置についてこういう記事がある。

「吉本家よりヱイ子ちゃんの引取りを言ってきたり、林弘高氏からも預かろうとの話もあったが、彼女は愛児を自分と同じ貰われっ子の宿命に落とすに忍びず、あくまで手元で育てる決意らしい」(映画雑誌『東寶 エスエス』1948年3月号「ステイジ女性寸描」旗一兵)

名曲『東京ブギウギ』は
笠置自身の復興ソング

 笠置をそばで見ていた服部良一は自伝にこう書いている。

「幕間には楽屋へ走り帰って、ヱイ子ちゃんをあやし、ときには乳房をふくませて、また、あわただしく舞台へかけ戻る。質素で、派手なことをきらい、まちがったことが許せない道徳家でもあった。しかし世話好きで、人情家で、一生懸命に生きているという感じをにじませていた」。

 ここには師匠・服部の温かいまなざしがある。

 笠置は日劇「ジャズカルメン」の舞台を最後に引退して出産後には吉本頴右との結婚を計画していたが、それも叶わぬ夢となった今、愛児を抱えて再び歌手として復帰しようと決意した。笠置はそのときのことを、手記にこう書いている。