放漫財政からの訣別が必要
増税と正面から向き合う必要

 アベノミクスは、異次元緩和策を「第1の矢」とするが、それだけでなく第2の矢もあるとされた。

 第2の矢とは財政政策だ。さまざまな面で放漫財政が進行したことは間違いない。特にコロナ禍期に行なわれた政策がそうだ。

 これは、アベノミクスによって国債が市中から大量に買い上げられた結果、金利が低下し、財政資金の調達コストが著しく低下したことによるものだ。これは事実上の財政ファイナンスであり、アベノミクスの重要な構成要素だった。

 ただし、特定の重点政策のために重点的に財政支出を増やしたというよりは、単なるばらまきの側面が強かった。全国民を対象とした定額給付金が、その代表例だ。

 一部の人々は、放漫財政を正当化する理論として、MMT(現代貨幣理論)を援用した。これは「国債が内国債である限り、自分自身に対する負債なので、財政赤字が幾ら増えても、インフレーションが起きない限り、問題がない」とする主張だ。ニューヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授らによって唱えられた。

 これは、一般に異端の理論だと言われているが、理論の大部分は正統的な経済学の結論を繰り返しているにすぎない。特に「内国債である限り、負担は自分自身に対するものだ」という点は、1940年代に「国債の負担」の問題として議論された結果、正統的な経済学が到達した結論だ。そこにおかしなことは何もない。

 しかし、正統的な経済学は「財政赤字がいくら増えても、問題がない」とはしていない。なぜなら、財政赤字はインフレーションを引き起こすからだ。インフレーションは国民の負担になる。しかも、「もっとも過酷な税」と言われるように、低所得者に重い負担を課す(正統的な経済学はさらに、支出が国債で賄われると無駄な支出がされ、その結果、生産性が低下して、将来のGDPが減る。この意味において「国債の負担」が発生するとしている)。

 ところがMMTは、「インフレが起こらないかぎり」という限定条件を付けて、この問題を切り捨ててしまったのだ。ここにMMTの最大の問題があった。

 MMTは、多くの人が感じていたように虚構の議論に過ぎなかったのだ。

 MMT的な考えは、さまざまな政策の財源問題に影響を与えている。その最大のものは、防衛費増額の財源手当てだ。

 防衛費の増額が決定され、その財源の一部は法人税や所得税、たばこ税の増税によって賄うという基本方針が決められたにもかかわらず、実行されていない。

 現状では、特別会計からの繰り入れや積立金や基金の不用分などで創設された「防衛力強化資金」によって増額分のかなりが賄われている。しかし、これは実態的には赤字国債による財源調達なのだ。それを分かりにくくしているだけのことだ。

 日本は防衛費だけでなく、高齢化社会の安心確保や成長のための人材投資などの問題や財源確保の増税に石破政権は正面から向き合う必要がある。そして正しい政策を進めるためには、アベノミクスを徹底検証し、そして決別することが必要だ。

(一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)