高齢の親は毎日「喪失体験」をしている
――そういったコミュニケーションの問題はどうして起きてしまうのでしょうか。
萩原:理由を1つに断言するのはむずかしいですが、大きなものとしては「お互いに遠慮がない」ことが挙げられると思います。
誰しも自分の親と喋るときに遠慮はしません。思ったことを本音で伝えて、明快でわかりやすいコミュニケーションをとってきたはずです。そのこと自体は悪いことではないですが、親が高齢の場合は、少しだけコミュニケーションの取り方に変化を加えなければいけません。
たとえば、先ほどの免許返納ですが、「免許返納したら?」と言うのは非常に簡単です。しかし、その背景にある親の気持ちを考えられている人はそんなに多くありません。
高齢者というのは毎日少しずつ「できないこと」が増えていきます。「昨日までできたことが今日はできなくなっている」。この喪失体験を繰り返しているのです。そんななか「免許返納したら?」と言われたらどう感じるでしょうか。傷口に塩を塗られたと感じても不思議ではありません。
相手が赤の他人であれば、もっと気を遣って言葉を選びながら会話できるところを、親であるがゆえに遠慮なく話してしまうのです。
――私も心当たりがあります。
もちろん、正面からぶつかること自体は悪くありません。加えて、高齢の親を気にかけている時点で、その人はかなり意識の高いすばらしい人だと言えます。場合によっては何年も子どもと連絡をとっていないという人もいますから、ケンカできるのはお互いが信頼し合えている証拠です。
ただ、ケンカばかりしていても問題は解決しないですから、もう1段階親を思うことを実践していただけたら自体はよくなるのではないかと考えています。
親に気を遣いすぎるのはよくないですが、遣わなすぎもよくありません。少なからず、先ほど説明した「高齢者は毎日喪失体験をしている」というのを念頭に入れていただけるといいかと思います。
親はなんだかんだ自立した子どものことを頼りにしていますし、そんな親を救えるのは子どもや家族だけです。ぜひ、スタンスは今のままコミュニケーションに工夫をしていただけると嬉しいです。