それだけ「ウケやすい環境」やったんです。「THE MANZAI」のプロデューサーから実際に聞いた話ですが、これは偶然の産物ではなく、制作側の意図として、そういう「誰もが笑いやすい空間」を作っていたそうです。
M-1は「じゃんけん」大会から「何でもあり」大会へ
そんな「THE MANZAI」がM-1に与えた影響は、さっきも言ったように、かなり大きかったと思います。
まず、5年のブランクを経て開催された2015年のM-1が、歴代のチャンピオンが審査員を務めるといった点で、以前よりバラエティ色が強くなっていました。
その後のM-1を見ていても、たとえばネタが終わった後の司会者との絡みでボケる人なんて以前はほとんどいなかったけど、今はみんな1笑い、2笑いくらいはとっています。そんな「平場の面白さ」でも、お客さんを楽しませる大会になっています。
M-1は、もちろん今でも競技色は強いし、スベるときは容赦なくスベります。ヒリヒリするところも健在だけど、以前とは打って変わって、バラエティ色もかなり強くなっている。
それが「漫才とは何か」「漫才とはこうあるべし」みたいな感覚からの“規制緩和”にもつながって、かつて「じゃんけん大会」だったM-1が、今のような「超多様な大会」になる1つのきっかけになったんやと思います。
ただ、これは、バラエティ色が強かった「THE MANZAI」を経て起こった突然変異的な変化ではなく、ずっと前に萌芽(ほうが)はありました。
漫才に新しい風をもたらした、いわゆる「システム漫才」の生みの親は、僕の中やとブラックマヨネーズやチュートリアルです。もとを辿れば、こうした新しい漫才の発明が、今の漫才の多様化につながっていると思います。
知っての通り、2005年はブラックマヨネーズ、2006年はチュートリアルと、立て続けにシステム漫才がチャンピオンになりました。さらに2007年のチャンピオンは、サンドウィッチマンでした。前にも話したとおり、サンドウィッチマンの漫才は「設定上の役柄」を演じきるコント漫才です。
こうして3年連続で伝統外の漫才師がM-1チャンピオンになった。M-1がいったん終了する前にも、すでに新しい潮流は生まれていたわけです。
その延長線で、ロングコートダディ、男性ブランコ、真空ジェシカのような「共闘型」漫才や、ランジャタイ、マヂカルラブリーのような、「被害者─加害者」構造は守りながら「見せ方」が奇抜な漫才が登場してきた。