天才数学者たちの知性の煌めき、絵画や音楽などの背景にある芸術性、AIやビッグデータを支える有用性…。とても美しくて、あまりにも深遠で、ものすごく役に立つ学問である数学の魅力を、身近な話題を導入に、語りかけるような文章、丁寧な説明で解き明かすロングセラーの数学読み物『とてつもない数学』。鎌田浩毅氏(京都大学教授)「数学“零点”を取った私のトラウマを払拭してくれた」(「プレジデント2020/9/4号」)、「人気の数学塾塾長が数学の奥深さと美しさ、社会への影響力などを数学愛たっぷりにつづる。読みやすく編集され、数学の扉が開くきっかけになるかもしれない」(朝日新聞2020/7/25掲載)、佐藤優氏「永野裕之著『とてつもない数学』は、粉飾決算を見抜く力を付ける上でも有効だ」(「週刊ダイヤモンド2020/7/18号」)、教育系YouTuberヨビノリたくみ氏「色々な角度から『数学の美しさ』を実感できる一冊!!」と絶賛されている。今回は、著者の書き下ろし原稿を特別に掲載する。

宇宙の中でもっとも完全な球体に近い天体は「太陽」だった…その栄光の座を奪った驚きの天体とは?Photo: Adobe Stock

完全な球体はこの世界に存在するのか?

 数学では、平面上の「1点からの距離が等しい点の集合」を「円」と言い、同様に、空間上の「1点からの距離が等しい点の集合」を「球」(あるいは球面)と言う。

 円も球も、中心からあらゆる点までの距離が完全に等しい図形である。肉眼では判別できないほどのわずかな歪みであっても、中心からの距離に違いがあれば、それは「円」や「球」ではない。

 現実世界には、真の円も真の球も存在しない。数学が描く理想的な形状と、私たちが実際に目にする物体の形には、隔たりがあるのだ。

 なぜだろうか? それは、現実世界では様々な制約が「完璧な形」を阻むからである。

 まず、物質を構成する原子や分子の並び方は、ミクロな視点で見ると均一ではない。また、重力をはじめとする外部からの力によって歪みが生じる。さらに、私たちが物を作る際には、どれほど精密に作ろうとしても、加工や製造の段階で限界がある。計測誤差も完全には避けられない。

 そんな中、人間の技術が到達した驚くべき精度を示す例の一つが、ベアリングボール(ボールベアリング)だ。機械の中で摩擦を減らす役割を担うこのボールは、非常に高い精度で製造されている。

 最高精度で作られた直径10mmのベアリングボールは、最大直径と最小直径の差が0.0025mmしかない。0.0025mmは、人間の髪の毛の太さの1/20~1/40程度に相当し、驚異的な精度と言える。これでも数学が描く「完全な球」とは言えないかもしれないが、私たちの技術の粋がいかにその理想に近づいているかが分かる。

自然界における真球

 自然界にも、真円や真球に近い形状を示すものがある。 その一つがシャボン玉だ。重力の影響が少なく、表面張力が均等に働くことで、シャボン玉はほぼ完全な真球を形成する。特に、無重力の環境で作られたシャボン玉は、理想的な真球に非常に近い形状になることが知られている。

 ところで、地球が真球ではないことをご存じの方は多いだろう。自転によって生じる遠心力の影響を受けて、赤道付近が膨らむからだ。大げさに言えば、地球はみかんのような形をしている。星が赤道方向に膨らむ程度は扁平率と呼ばれる指標を使う。扁平率が小さいほど、より球体に近いと言える。

 地球の扁平率は約0.3%で、太陽系の惑星の中では3番目に球に近い。太陽系の惑星の中で最も球に近いのは金星で、その扁平率は約0.02%である。この扁平率は、最高精度のベアリングボールと同程度だ。ちなみに「太陽系真球ランキング」最下位の土星の扁平率は10%で、目に見えて、輪っかの方向に膨らんでいる。

 では、宇宙の中でもっとも真球に近い天体はなんだろう? 最初に名乗りを上げたのは太陽である。

 2012年、ハワイ大学のジェフリー・クーン氏らは、太陽を直径1mのビーチボールに縮めた場合、最も膨らんでいる部分と最もへこんでいる部分の高低差は17ミクロンしかないことを突き止めた。17ミクロンといえば、花粉1粒程度の大きさである。さらに、最大直径と最小直径から求めた太陽の扁平率は、わずか0.0009%であることもわかった。

 太陽は、ガスで構成されているため、地殻で覆われた地球などより自転の影響を受けやすいはずなのに、実際には極めて真球に近い形を保っている。これは、太陽内部のプラズマ乱流が、局所的な形状の歪みを補正しているためだと言われている。クーン氏らの研究が発表されると、太陽は「宇宙の最も丸い天体」として、驚きをもって迎えられた。

ケプラー11145123

 しかし、その栄光は長くは続かなかった。現在「宇宙で最も真球に近い天体」の称号を誇っているのは、マックス・プランク研究所のローラン・ジゾン氏らによって2016年に観測された「ケプラー11145123」だ。地球から5000光年離れた場所にあるこの恒星の扁平率は驚異の0.00018%だという。

 数学が描く「完璧な形状」は、現実には存在しないものの、それに近づこうとする人間の努力や自然界でその片鱗を垣間見ることは、私たちに大きな感動を与える。理論と現実の溝に、人間の知性の輝きが宿る。真円や真球という理想を追い求めることで、私たちは宇宙の深淵に触れ、世界の真実に近づく。

 数学は、単なる記号の羅列ではない。そこには、人間の飽くなき探求心と、世界への畏敬の念が刻まれているのだ。

(本原稿は『とてつもない数学』の内容と関連した書き下ろしです。)