天才数学者たちの知性の煌めき、絵画や音楽などの背景にある芸術性、AIやビッグデータを支える有用性…。とても美しくて、あまりにも深遠で、ものすごく役に立つ学問である数学の魅力を、身近な話題を導入に、語りかけるような文章、丁寧な説明で解き明かす数学エッセイ『とてつもない数学』。鎌田浩毅氏(京都大学教授)「数学“零点”を取った私のトラウマを払拭してくれた」(「プレジデント2020/9/4号」)、「人気の数学塾塾長が数学の奥深さと美しさ、社会への影響力などを数学愛たっぷりにつづる。読みやすく編集され、数学の扉が開くきっかけになるかもしれない」(朝日新聞2020/7/25掲載)、佐藤優氏「永野裕之著『とてつもない数学』は、粉飾決算を見抜く力を付ける上でも有効だ」(「週刊ダイヤモンド2020/7/18号」)、教育系YouTuberヨビノリたくみ氏「色々な角度から『数学の美しさ』を実感できる一冊!!」と絶賛されている。今回は、著者の書き下ろし原稿を特別に掲載する。

【数学史に残る超難問】「フェルマーの定理」に挑んだ天才数学者たちの300年間の知的冒険Photo: Adobe Stock

最も有名な定理

 教科書に載っていない数学の定理の中で最も有名なものと言えば「フェルマーの定理」だろう。

 17世紀に活躍したフランスの数学者ピエール・ド・フェルマー(1607~1665)は、「nが3以上の整数のとき、xn+yn=znを満たす自然数(1以上の整数)のx、y、zは存在しない」と、ある書物の余白に書き残した。

フェルマーからの挑戦状

 このメモは「私はこの定理の素晴らしい証明を思いついたが、それを記すにはこの余白は少なすぎる」と続く。

 まるでフェルマーからの挑戦状のようだ。

 事実、後の数学者たちは「素晴らしい証明」を自分も見つけようと躍起になった。

 それにしても、「フェルマーの定理」はなぜこんなにも有名になったのだろうか?

 ひとつには定理の内容のわかりやすさがあげられる。数学の定理の多くはその分野を多少なりとも学ばないと意味さえわからないものが多いが、この定理の内容は直観的だ。

 またこの定理には「信じられない」という驚きもあって、多くの人の興味を引く。

330年後の証明

 n=1のとき、すなわち「x+y=z」を満たす自然数の組 (x,y,z) はもちろん無数にある。(x,y,z)=(1,2,3)(2,3,5)(3,4,7)……といくらでも見つかる。

 n=2のとき、すなわち「x2+y2=z2」を満たす (x,y,z) はどうだろう?

 今度は (x,y,z)=(3,4,5)(5,12,13)(8,15,17)……などが見つかる。

 「いくらでも」という感じはしないが、それほど珍しくもない(実際には無数にある)。

 しかし、nが3以上になると「xn+yn=zn」を満たすものが途端に1つも見つからなくなるなんて不思議ではないだろうか?

 フェルマーの定理が、イギリスのアンドリュー・ワイルズ(1953~)によって証明されたのは、フェルマーの死から330年後の1995年のことである。

天才オイラーの挑戦

 実は、フェルマーの定理のn=4の場合の証明はフェルマー自身が残している。

 その後、n=3の場合はスイスのレオンハルト・オイラー(1707~1783)が1770年に証明した。

 オイラーは、史上最も多くの論文を書いた数学者としても知られている。さらに19世紀の前半には、ガブリエル・ラメ(1795~1870)やペーター・ディリクレ(1805~1859)らがn=5、7、14の場合の証明に成功した。

風穴を開けた日本人

 しかし、その後は長らく進展がなかった。八方塞がりに思えたフェルマーの定理の証明に活路が見えたのは、20世紀になってからである。

 しかもその風穴を開けたのは日本人だ。

 谷山豊(1927~1958)と志村五郎(1930~2019)は「全ての楕円曲線はモジュラー形式である」という大胆な予想を立てた。

 2人は協力しあったわけではないが、谷山のアイディアを志村が定式化したので、この予想は「谷山-志村予想」と呼ばれるようになった。

 ここでは詳細を省くが、楕円曲線とは、「楕円」と名が付くものの、いわゆる楕円ではなく、ある方程式によって定義される曲線のことを言う。

 一方のモジュラー形式とは、複素数平面上の特別な領域で定義される関数のことであり、非常に高い対称性を持つという特徴がある。

300年後の終止符

 それまで楕円曲線とモジュラー形式は、何のゆかりもないと思われていたため、谷山-志村予想に世界は驚いた。この谷山-志村予想が正しいことが証明できれば、フェルマーの定理を証明できるはずだと主張したのは、ドイツのゲルハルト・フライ(1944~)だ。

 フライは、nが3以上のときに「xn+yn=zn」が成立すると仮定すると、それは楕円曲線を表す式になるが、モジュラー形式にはならないことを指摘した。

 谷山-志村予想が正しいことと「xn+yn=zn(n≧3)」を満たす自然数の解が存在することは矛盾するのだ。要するに、谷山-志村予想の正しいことが証明できさえすれば(背理法によって)フェルマーの定理が証明できたことになる。

 ただ、谷山-志村予想の証明は非常に困難で20世紀中には無理だろうというのが大方の見方だった。

 しかし、ワイルズは1995年に現代数学の粋を集めて見事にこれを証明し、300年以上にわたる数学者たちの長い長い挑戦に終止符を打った。

 ここに紹介した天才たちの他にも、あまたの数学者たちが必死の思いでバトンを繋いだからこそ証明は完成した。

 この壮大な物語が、フェルマーのちょっとしたメモから始まったことにも驚くが、時代を超えてこれだけ多くの人を虜にしてきたフェルマーの定理の魅力もものすごい。

 そのとてつもなさこそ、数学の数学たる所以だろう。

(本原稿は『とてつもない数学』の著者永野裕之氏による書き下ろしです。)