安倍首相はアラブ首長国連邦(UAE)、トルコを訪れ原子力協定を結び、原発輸出を約束した。フクシマの惨事は原因さえ究明されていないのに。放射能汚染水は大量に漏れ収束とほど遠い。安全神話が招いた未曽有の事故はなにひとつ責任が問われないまま、原発推進体制は海外から復活する。

「パッケージ型輸出」に原発を組み込む

「原発輸出」は6月の成長戦略に盛り込まれる。原発を前面に押し出すかどうかは未定だが、「パッケージ型輸出」という表現になるという。原発の設計・建設から運転・メンテナンスまで一括して受注する。場合によっては原発で起こした電気を使って鉄道を走らせたり、都市開発をパッケージにして途上国に売り込もうという算段だ。

 鉄道や道路など海外のインフラ建設は、それが日本が供与する円借款つきでも中国や韓国にさらわれるようになった。困難になった受注を回復すべく、街作りや事業運営など付加価値をつけ、構想段階から日本が関与する「パッケージ型」に活路を求め、そこの原発を組み込もうというのである。

 フクシマ第一原発の事故が起こる前、民主党鳩山政権でも原発推進は表舞台に上がっていた。地球温暖化対策としてCO2を大量に発生させる石油火力に代わり、2030年にはエネルギー構成の50%を原発で賄う、という方針が決まった。併せて原子力技術を日本の得意分野に育て、技術を海外に売り込む戦略が練られた。

 当時、仙谷由人官房長官を中心に官民一体の輸出体制が組まれた。キーマンが二人いた。一人は経産省事務次官から内閣官房参与になった望月晴文氏、もう一人が仙谷氏が知恵袋として重用した国際協力銀行(JBIC)の執行役員・前田匡史氏だ。望月氏は資源エネルギー庁長官を経て事務次官を3年務めた原発政策の実力者、前田氏は資源外交のプロで、海外に独自のネットワークを持っている。エネルギー政策の門外漢だった仙谷氏はこの二人を頼り、言われるがままに原発大国化へと踏み出した。