自分は何も持っていない」「いつも他人を妬んでしまう」「毎日がつまらない」――誰しも一度は感じたことのある、やり場のない鬱屈した思い。そんな感情に寄り添ってくれるのが、イラストエッセイ『ぼくにはなにもない 愛蔵版』。小説家だけではなく、大人気ゲーム実況グループ「三人称」の鉄塔としても活躍する賽助氏も本書の読者だ。この記事では本の感想も交えながら、賽助氏が考える「心の持ち方や生き方」について語ってもらった。(構成/ダイヤモンド社・林拓馬)

「気にしないようにするほど傷つく…」気がつかない「メンタルの落とし穴」に落ちないために『ぼくにはなにもない 愛蔵版』より

「誰かに言われる心ない言葉」にどう向き合えばいいか

何を言われても気にしない人」なんて、本当にいるのでしょうか。

僕の周りには、そんなふうに見える人はいても、本当に何も気にしていない人っていないんじゃないかなと思います。

結局、誰しも何かしら気にしながら生きているし、その向き合い方や距離感の取り方が人それぞれ違うだけなんだろうなと思うんですよね。

たとえば、僕の活動仲間にも、周りからの意見や言葉を気にして、結果的に活動を休むことになった人がいます。

これって、その言葉をどのくらい受け入れるのか、あるいはどれだけ流せるのかという「距離感」の問題だと思うんです。

自分の中である程度フィルタリングができるようにならないと、受け止めすぎてしまって心が傷つきやすくなる。

逆に、うまく受け流せるようになれば、活動を続ける上での負担が減るんじゃないかなと思います。

僕自身もそういったメンタルの部分は弱い方だと思います。

だから、動画のコメントとかは基本的に見ないようにしているんですよね。

せっかくコメントを書いてくれる人がいるんだから、本当は見たほうがいいし、応援してくれている声や楽しんでくれている様子を感じられたら嬉しいと思うんです。

でも、そこにネガティブな意見が混ざっていると、やっぱりどうしても心が傷ついてしまうんです。

もちろん、実際にネガティブなコメントを見ても、「ワッ」と一瞬思うだけで意外と大丈夫なことも多いんですけど、なるべくダメージを受けたくないという気持ちが強いので、自分の中で「見ない」というルールを作っています。

これが僕にとってのフィルタリング方法ですね。

「コメントを一切見ない」という選択をすることで、必要以上に傷つかないように自分を守っているんです。

鈍感力が高い人とか、対外的な見せ方が上手な人はいますが、その人たちも、実は内心では少しは傷ついているんじゃないかなと思います。

たまたまうまくいなしているように見えるだけで、本当のところは誰もが何かしら心に響いているんじゃないでしょうか。

それに、「気にしないように努力する」こと自体が、また心に負担をかけてしまうこともありますよね。

無理に「心を強くしよう」と思って頑張りすぎると、逆に参ってしまうことだってある。

僕としては、まずは「自分の中で線を引く」ことが大事だと思っています。

「ここからは受け入れない」とか、「これ以上は見ない」と決めることで、自分の心を守ることができる。

それって別に弱いことではなくて、むしろ生きていく上で必要なスキルなんじゃないかと思います。

大事なのは、自分にとってどう向き合うのがベストなのかを考えて、必要なら避けるなり、受け流すなりして、無理なく続けていけるやり方を見つけることだと感じますね。

(本記事は『ぼくにはなにもない 愛蔵版』の感想をふまえた賽助氏へのインタビューをもとに作成しています)

「気にしないようにするほど傷つく…」気がつかない「メンタルの落とし穴」に落ちないために
賽助(さいすけ)
作家。埼玉県さいたま市育ち。大学にて演劇を専攻。ゲーム実況グループ「三人称」のひとり、「鉄塔」名義でも活動中。著書に『はるなつふゆと七福神』『君と夏が、鉄塔の上』(以上、ディスカヴァー・トゥエンティワン)『今日もぼっちです。』『今日もぼっちです。2』(以上、ホーム社)、『手持ちのカードで、(なんとか)生きてます。』(河出書房新社)がある。