売り上げ減少で会社存続の危機に直面し健康経営を目指す

 浅野製版所は1937年創業、社員40人前後の中小企業だ。主に広告代理店の発注を受け、いわゆる印刷用製版のほか、動画やデジタルサイネージなども含めた広告や販促ツールの企画、デザイン、印刷までをワンストップでサポートする。

 現在の同社に、かつてのブラック企業の面影は全くない。オフィスに一歩足を踏み入れると、バランスボールやストレッチグッズ、ロコモティブシンドローム(運動器の障害で、移動機能が低下した状態)のテスト用ツールといった、健康に関わるグッズがあちこちに設置されているのが目に入り、健康を意識したオフィスづくりが徹底されていることが分かる。

「これらは業務パフォーマンスを向上させる目的で取り入れたもの。社員はちょっと疲れたときなどにグッズを活用して、体を動かせるようになっています。体を動かすといえば、社員に2級ラジオ体操指導士の資格を取得してもらって作成した、当社のオリジナルラジオ体操動画というのがあって、定期的にみんなで体操するということもやっています」

 社員が心身共に健康であれば、業務のパフォーマンスは向上する。さらに、人材の確保という意味でも、健康で快適に働ける職場環境があれば訴求力は高まるだろう。しかし、浅野製版所の場合、最初から企業価値を高めるために健康経営を目指していたわけではない。

「当社が健康を意識した取り組みに着手した当時は、前時代的なブラック企業でした。労働環境が悪く人材が定着しなかったので、会社を存続させるための“手段”として働き方を見直さざるを得なかったのです」

 苦労して採用しても絶対にミスできない中での長時間労働など、労働環境は依然として悪いままなので数カ月で辞めてしまう。それでまた採用活動に奔走する、でもすぐ辞める。この繰り返しだった。先輩社員も自分の業務で手いっぱい、新人教育もできない。「慢性的な人手不足で売り上げにも影響が出ており、このままではいずれ会社がつぶれるかもしれない、この状態をなんとかしなければと強い危機感を抱きました」と新佐部長は振り返る。

月100時間残業が当たり前、ブラック体質の“昭和”な製版所は、どうやって健康経営優良法人に生まれ変わったのか

 幸い、上層部も課題は感じており「会社のためになるなら、何でも挑戦していい」という柔軟な姿勢だったため、新佐部長は“人が辞めない組織”に立て直すべく大改革に乗り出した。

長時間労働が「美徳」になる考え方も、少しずつ改善

 まず、全社員面談を定例化して、社員一人一人に話を聞いたところ「過重労働」と「コミュニケーション不足」が最大の問題と判明。そこで、まずはできるだけ負荷を減らし、改善するような改革を始めた。

 例えば、長時間労働の多い社員には日々の業務フローを時間単位で書き出してもらい、内容を精査。「ある社員のケースでは、営業活動そのものよりも客先への移動にかなりの時間を費やしていました。依頼時には打ち合わせが必要でも、その後、納品だけならほかの人に任せれば本人は移動しなくて済む。このようにして本人でなくてよい業務の洗い出しを徹底的に進めながら、他部署にも協力・連携してもらう体制をつくりました」。

 また個人だけでなく、組織としても、「無駄な会議をなくす」「日報をなくす」「業務を偏りなく分配する」「紙ベースでの事務作業を削減する」などの見直しを積み重ねて業務を大幅に削減。他にも、システム化の推進で作業工程を省く、取引先と調整して営業時間を短縮する、さらにブラックボックスになっていた評価制度の見直しをするなど、当時の経営課題も含めて改善を進めた。

 もちろん、その道は決して平たんではなく、長く勤める社員の中には、慣れ親しんだ業務や慣例を見直すことに対し、反発する人もいた。

「社員の中には、ワーカホリック気味で長時間労働を美徳のように捉えているケースもあり、その考え方を変えるのにも非常に時間がかかりました。人間はすぐには変わらないものですが、皆で何度も話し合いを重ね、調整しました。そうした人たちも、時間がたつにつれて年齢を重ねることで、実感として健康で働き続けることの重要性に気付いてくれるようになったんです」

 話し合いの結果、会社を去った人もいたが、変化を受け入れてくれた人も多かった。事業を継続するため、年齢・性別に関係なく「定年まで働き続けられる企業」をつくるという目標が「健康経営」と合っていたのだ。