月100時間残業が当たり前、ブラック体質の“昭和”な製版所は、どうやって健康経営優良法人に生まれ変わったのか

働き手不足が深刻化する中、人材確保の対策の一つとして「健康経営」に注目する企業が増えている。人を大事にする会社探訪の第2は、「人が辞めない組織」となった浅野製版所の事例を紹介する。(取材・文/ライター 元山夏香、写真/カメラマン 原田圭介)

かつては長時間労働、深夜残業などが常態化した“ブラック企業”だった

 長時間労働、深夜残業など不規則な勤務体系が常態化していた製版業界。かつて、浅野製版所もそうした業界の慣習にどっぷり漬かっていた。

「明け方まで仕事をして職場で仮眠を取り、9時から就業を開始したとか、帰宅しても夜中に電話がかかってくるので、枕元に携帯電話を置いて寝ていた――というようなエピソードは、挙げ始めたらキリがありません」

 そう語るのは、事業開発部で人事労務を担当する新佐絵吏部長だ。新佐部長が同社に人事担当として入社したのは2012年。当時、半数の社員が1カ月当たりの残業時間は70時間を超過していた。それ以前、具体的には07年の時点では社員全員が100時間超えであり、その時期よりはマシにはなっていたがそれでも過重労働の現場である。当時の社員の平均年齢が32歳と若かったこともあって、なんとか仕事は回っていたが、「体力勝負で仕事をこなしているだけでは、ずっと働き続けられるイメージが持てない」と辞める人も多く、離職率が非常に高い職場となっていた。

月100時間残業が当たり前、ブラック体質の“昭和”な製版所は、どうやって健康経営優良法人に生まれ変わったのか浅野製版所
事業開発部 兼 健康経営推進チーム
新佐 絵吏 部長
産業カウンセラー・健康経営エキスパートアドバイザー
医療ソフトウェア開発企業、国立研究開発法人勤務を経て2012年に人事労務担当者として浅野製版所に入社。本業の傍ら、経済産業省「健康投資の見える化」検討委員会企業委員(19年9月~20年6月)や、全国健康保険協会東京支部「健康づくり推進協議会」委員(24年5月~)も務める。

 07年ごろから、当時専務だった浅野光宏・現社長が指揮を執り、長時間労働是正に動きだしてはいたものの、まだまだ昭和的な働き方から抜け出せていなかった。新佐部長は入社直後から、次々と人が辞めていく中で人員の補充をしなければならず、退職手続きと採用活動を同時並行でこなしていたという。

 時を戻して現在――。浅野製版所は100以上もの健康施策を導入する健康経営の優良企業だ。社員の健康推進の他、ワーク・ライフ・バランスの促進や女性活躍支援につながるさまざまな取り組みも手掛け、「健康経営優良法人認定制度」の中小規模法人部門の認定をはじめとする公的な認定・表彰を多数獲得している。

 かつて前時代的、すなわち“昭和”なブラック企業だった浅野製版所は、どうやって健康経営優良法人へと生まれ変わったのか。

 次ページからは、健康経営推進のキーパーソンである新佐部長が、社内で反発を受けながらも実行してきたさまざまな取り組みを具体的に語る。