正気じゃないけれど……奥深い文豪たちの生き様。42人の文豪が教えてくれる“究極の人間論”。芥川龍之介、夏目漱石、太宰治、川端康成、三島由紀夫、与謝野晶子……誰もが知る文豪だけど、その作品を教科書以外で読んだことがある人は、意外と少ないかもしれない。「あ、夏目漱石ね」なんて、読んだことがあるふりをしながらも、実は読んだことがないし、ざっくりとしたあらすじさえ語れない。そんな人に向けて、文芸評論に人生を捧げてきた「文豪」のスペシャリストが贈る、文学が一気に身近になる書『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』(ダイヤモンド社)。【性】【病気】【お金】【酒】【戦争】【死】をテーマに、文豪たちの知られざる“驚きの素顔”がわかる。文豪42人のヘンで、エロくて、ダメだから、奥深い“やたら刺激的な生き様”を一挙公開!

正岡子規のおすすめ著作
伊予国温泉郡(現・愛媛県松山市)生まれ。本名・正岡常規(まさおか・つねのり)。帝国大学文科大学中退。代表作は、『歌よみに与ふる書』『病牀六尺』『寒山落木』など。俳句・短歌の革新者として、近代文学に大きな影響を与えた。幼少期から祖父の営む私塾に通い、漢書などを読む。10代から20代前半は勉学のかたわら俳句をつくり始めたほか、野球に打ち込むが、21歳で喀血。結核のため大学を中退し、日本新聞社に入社、新聞連載をスタートする。新聞記者として日清戦争に従軍するが、その帰路でふたたび喀血。晩年は結核の悪化により病床に伏しながらも、随筆『病牀六尺』を新聞連載で書き続ける。これらの作品は、病と闘う日々の記録として話題となったが、明治35(1902)年に結核により34歳で死去。
「悟りとは、平気で生きること」―子規が最後に伝えたこと
子規は『病牀六尺』の中で、こう記しています。
「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた」
ー『病牀六尺』(岩波文庫)
どんなに苦しくても、生きることの中に楽しみを見出すことが大切だと説く子規。彼にとって、書くことこそが唯一の「生きる証し」であり、「楽しみ」だったのです。
子規の強い意志と執念が生んだ『病牀六尺』は、今もなお、多くの人に生きることの意味を問いかけ続けています。
◯『病牀六尺』(『子規人生論集』講談社文芸文庫に収録)
結核で床に伏していた晩年に執筆した随筆集。
タイトルの「六尺」とは、子規が寝ていた病床の広さを示したもの。自らの病状や痛み、病床から見える風景や季節の移ろい、訪れる友人たちとの会話が、飾らない率直な言葉で描かれています。
『子規人生論集』には、漱石に宛てた書簡も収録されており、病気で心細い子規の本音が読みとれ、おすすめです。
話題の引き出し★豆知識
野球好きが高じて野球用語を翻訳
子規は、野球好きが高じて多くの野球用語を翻訳したことでも知られています。
外来語だった「ランナー」を「走者」、「バッター」を「打者」、「ストレート」を「直球」に訳したのは子規なのです。
さすが俳人・歌人というべきネーミングセンスですね。
※本稿は、『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。