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「血を吐くまで働き続けた男」国民のストレスを背負った夏目漱石の苦悩イラスト:塩井浩平

胃潰瘍、痔、リウマチ、糖尿病とさんざんな晩年

夏目漱石(なつめ・そうせき 1867~1916年)

江戸(現・東京)生まれ。本名・夏目金之助。帝国大学英文科卒。代表作は『吾輩は猫である』『こころ』『坊っちゃん』など。明治時代を代表する近代日本文学の巨匠。幼少期に養子に出されるなど、波瀾に満ちた少年時代を過ごす。漢学を学んだことが、小説における儒教的な倫理観や東洋的美意識を磨いた。幼いころから病気がちで、大学予備門時代には、結膜炎にかかって進級試験が受けられず落第する。明治33(1900)年、文部省の留学生としてイギリスに留学するも、神経衰弱となり帰国。その治療の一環として小説を書き始め、38歳のとき『吾輩は猫である』でデビュー。その後も次々と名作を発表する。晩年は複数の病気や神経症に苦しみながらも執筆活動を続けるが、胃潰瘍が悪化して49歳で死去。

精神的な重圧が漱石を追い詰める

「自分は生徒を叱っただけ、自殺は彼自身の問題だ」などと、割り切って考えられる漱石ではありませんでした。

 自分が藤村を叱ったことが原因ではないかと気に病み、その後も深く思い悩みます。

 教壇に立つなり、最前列の生徒に「藤村はどうして死んだんだい」と尋ねるなど、神経衰弱を抱える漱石の心に、また新たなストレスがのしかかりました。

繰り返す病と闘いながらの執筆生活

 小説家として活動し始めた漱石でしたが、胃潰瘍、痔、リウマチ、糖尿病など、さまざまな病気に悩まされます。

 ついに胃潰瘍で血を吐くまでに悪化。療養や入退院を繰り返しながらも小説を書き続けますが、執筆をすると今度は胃潰瘍が再発。さらに、痔の手術もしなければならないという、まさにさんざんな状態でした。

 胃潰瘍は毎年のように再発し、最終的にはリウマチの治療のため療養していた神奈川・湯河原で倒れ、さらに糖尿病が悪化し、胃潰瘍もどんどん悪化

 もはや、何が原因かわからないほど病に侵され、49歳で亡くなってしまいます。

古いものを壊して新しいものをつくり上げる

 漱石は「新しい日本語」をつくり上げ、明治を牽引してきた作家です。

 明治の日本は、西洋の文明・文化の影響を受け、古いものを壊して新しいものをつくり上げるという作業を繰り返してきました。

 それ自体が、日本人という民族にとって、非常に大きなストレスとなっていたのです。

明治日本のストレスを一身に背負った作家

 明治維新によって西洋列強の植民地化を免れたものの、それでもなんとかして西洋に追いつかなければならないというプレッシャーがありました。

 そのため、古いものはどんどん捨て、近代化しなくてはならないという強迫観念があったのです。

 そうやって日本の国民たちは、ものすごく無理をしてきました。そして、その国民的ストレスを、近代文学の第一人者である漱石は、個人のストレスのように引き受けてしまったのです。

 まさに、「国民の病気を一身に背負った作家」だったと言ってもいいかもしれません。

現代のビジネスパーソンにも響く漱石の作品

 巨大なストレスを抱えながらも闘い続けた漱石の作品は、現代の仕事でつらい思いをしているビジネスパーソンにも、ぜひ読んでもらいたいと思います。

 彼の苦悩や葛藤は、今を生きる私たちにも共感できる部分が多く、ストレスと向き合うヒントを与えてくれるはずです。

※本稿は、ビジネスエリートのための 教養としての文豪』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。