言い訳を見抜くのに端的な方法は、資料やレポートの長さです。優秀な人のレポートは短い。端的に問題点が示され、目標が掲げられ、何をしたらいいかという仮説が具体的に立てられているから、長くならないんです。
もちろん、ポイントは長さだけではありませんが、流し読みすれば言い訳が読み取れます。2度目、3度目も同じような中身だと、「こいつ、ダメだな」と判断するほかありません。概して長いレポートを書く人は、現状に対して力が足りていないか、不適切かのどちらかです。そこで、ポジションか役職を変えてあげます。
というのは、その人に絶対的な能力が足りないのではなく、いま向き合っている仕事への適性の問題だと捉えるからです。
自分の例をあげれば、私はいい加減ですから、電卓を使って同じ計算を10回やれば、答えは毎回違います。だから経理をやらされて、1円も間違わないように計算しろと言われても、できません。しかし経営者ですから、しばしば「100万円や200万円の違いはどうってことないんだから、答えを早よ出せ」と言います。
1円の正確さを求めなかったら、会社全体のモラルが崩れてしまいます。一方で経営方針を決める際などは、1円2円よりスピードが大切な場面もあるわけです。正確さが求められる場面なのか、それともスピードが求められる場面なのか。そうした判断を瞬時に下せる能力は、電卓のように正しい計算能力よりずっと大切です。
完全な成果主義は採り入れない
なぜ“緩さ”が必要なのか
私が食品業界でナンバーワンの会社にしようと言い出したとき、「メジャーリーグみたいに、能力に応じて報酬に大きな差をつけましょう」と言ってきた社員がいました。私は、こう答えました。
「いや、日本の社会ってそうじゃないよ。少々出来が悪いヤツもいて、『アイツの給料は俺が出してるんだけどな』と思えるような、“緩さ”のある組織がいいんだ」
ですから、食品業界で日本一の給料を支給しようとしていますが、完全な成果主義のような弱肉強食の制度は採り入れません。日本の組織には、なぜ“緩さ”が必要なのか。