いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

悩みを捨て去る
というより、すべての悩みを追い払った。
というのも、それは外ではなく内にあり、わたしの意見のなかにあったのだ。(マルクス・アウレリウス『自省録』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より
日々暮らしている中では、何かと悩みは多く心が晴れない。
モヤモヤとした灰色の雲のようなものが自分の内にある。
これがなくなって、スッキリとした青空になったらどんなに心が軽くなるだろう。
ストア哲学者のマルクス・アウレリウスは「すべての悩みを追い払った」と言う。これはどういうことだろうか。
ストイシズム(ストア哲学)は、紀元前300年頃のギリシャで、キティオンのゼノンが確立したと言われている。
同時期にいくつかの哲学的潮流が発展していく中で、ストイシズムの特徴は「美徳は幸福にとって必要かつ十分なもの」と説いている点だ。お金や地位があろうがなかろうが、内面を充実させれば幸せになれるという。
そして、自分でコントロールできることに集中し、コントロールできないことに執着しないよう説く。これがメンタルを強くし、内面を充実させることにつながる。
コントロールできることとできないことに分けてみる
こうした前提で、あらためて自分の悩みを見てみる。
まず、自分の内にあるモヤモヤを見つめ、一つひとつ取り出して名前をつけてみた。
・肩こりがひどく頭痛がする
・今月、お金が足りないかもしれない
・部屋を片付ける時間がない
次に、それぞれの原因を書き出し、複数ある原因を「コントロールできること」と「コントロールできないこと」に仕分けしていった。たとえば「肩こりがひどく頭痛がする」ことの原因は……
・目のアレルギーがあり、長時間コンタクトレンズを入れられないため眼鏡と併用している ⇒いったん「コントロールできない」
・仕事机に本を積んでコックピット状態でPCに向かっているため姿勢が固定されている ⇒「コントロールできる」
・運動不足 ⇒「コントロールできる」
この作業をしていくと、「なんだ、こうすれば解決するじゃん」というものが意外とたくさん見つかった。こういったことをまったくせずに「昔から肩こりがひどいからねぇ。最近とくにひどいけど、なんとかならないものかね」なんて言っていたわけだ。
一方で、自分でコントロールできないことに関しては、仕方がないので放っておく。
放っておけばいいので、悩みにはならない。
事実に対する見方が変わる
そして、先ほどそれぞれの悩みにつけた名前は「意見」なのだと気づく。
たしかに頭痛があるのは事実だが、「コントロールできること、できないこと」という観点で紐解いていくと見方が変わるのだ。
コントロールできることに着手せずに「頭が痛いんですけど!」と言っているのなら、それはそう主張したいだけという気もしてくる。なるほど、マルクス・アウレリウスの言う通り、すべての悩みを追い払うことができてしまう。
心が疲れたときは、「コントロールできることは何か、できないことは何か」と一言、自分に言い聞かせてみてほしい。
解決できる問題に着手し、解決できない問題に対しては自分の反応を変えることで、モヤモヤは消え、スッキリとした青空が広がるはずだ。
(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)