「チーム」と「パーティー」の前提条件
わたしは組織内でトラブルが起きた時は、登山のパーティーだったらどう乗り越えるかを想定して、問題に対処するようにしています。もし、進むべき道を見失いそうになったら、遭難の手前だと見立て、無理に先には進まずに、時には立ち止まりながら長期的な方向性を見定めています。
一方で、組織では意見交換の場と称してしばしばミーティングが行われますが、参加者の中には自分の手の内を隠そうと知恵を出し惜しみする人がいます。人手不足などで協力を求めても、自分の部署が暇だと思われると困ると勘違いして、「協力する余裕はない」と筋違いの回答をする人さえいます。
しかし、登山といういのちがけの場では、知恵の出し惜しみや、不適切な判断や行動をしても何のメリットもありません。むしろ、そうした誤った判断は、いのちを失う可能性すらある危険な行為なのです。最終的な判断は、リーダーがくだすことにはなりますが、適切な状況把握に伴う率直で自由な意見交換こそがいのちを救うこともあるのです。
したがって、組織内で判断に迷った時は「弱者を中心に考える」という原則に戻ることが大切だと思います。チームが困っている場合は、自分を中心にするのではなく、困っている人を中心にして考えれば、適切な判断がくだせることが多いのではないかと思います。登山を成功させるには、物事を考える時の主語を自分ではなく、あくまでもチーム内の弱者に変換する訓練と習慣こそが重要になります。

そして、パーティーで一度方針を決めたら、みんなで協力して乗り切ることも大切です。たとえ、登山中にメンバー同士の不和やアクシデントが生じたとしても、いつまでもとらわれていては前に進むことはできません。まずは登山中に起こった現象をチームとして受け入れ、行動してみる。自分だけではどうすることもできない組織やチームの在り方を考える時に、登山のパーティーに発動するいのちのフィロソフィーが参考になるのではないでしょうか。
また、弱い立場にいる人が自分の力を発揮できないと、チームとしては機能しません。
弱者を排除する考えを続けていると、チーム内では永遠に弱者が生まれ続ける構造が存在してしまいます。そうしているうちに、自分自身が弱者になる時期が訪れ、排除される結果へとつながるのです。
弱者を中心にチームや場を考えれば、誰もが心地よいと思える環境がつくれます。それは、一人ひとりも、そしてチーム全体としてもいのちの力がもっとも発揮できる場になるでしょう。
これを組織やチームで発動させるには、立場や役割は違えどもパーティー内の各メンバーが対等であることが大前提になります。
実は自然界という基準で見れば、人間は誰もがちっぽけな存在であり、弱者だと言えます。また、登山では経験豊富な人がリーダーになりますが、それは単なる役割の違いです。
山から降りてしまえば、一人ひとりは対等な存在なのです。そうした日常レベルでの人間の対等性と一時的なチーム内での役割の違いを同居させながら、物事を考えていくことこそが、いのちのフィロソフィーにおいては大事になります。
ちなみに、わたしは、対等な関係を築けていなければ、あらゆる対人関係の技法や技術は無効であると考えています。なぜなら、それは単なる人の操作や支配にしかなっていないからです。
確かに会社や組織でも、上司や部下という役割の違いは存在します。ただ、それは登山のパーティーと同様にあくまでも担っている役割の違いでしかありません。人間としての優劣などでは決してないのです。そういった意味では、チーム内でのリーダーの役割は、メンバーに命令し、管理することではなく、チーム内のメンバーが創造的に自由に活動できる環境を整えることではないかと思います。
また、一般的に組織というと、軍隊のようなピラミッド型の組織を無意識にイメージしてしまいがちです。昨今では「パワハラ」や「セクハラ」といった各種ハラスメントが話題になっていますが、そうした問題も組織の意味を勘違いさせやすくしています。
そもそもハラスメントになるかの分岐点は、人間関係の前提としての「信頼関係」が築けているかどうかだと思います。
もちろん、発言内容や態度も重要ですが、そもそもの信頼関係が失われていれば、すべての行動や発言がハラスメントへとつながってしまうという認識が重要になります。まず、実行すべきことは、いかにして組織やチームの信頼関係を構築するかということだとわたしは思います。しかし、多くの場合信頼関係がなくなってから、慌てて再構築しようとします。それでは順番が逆なのです。
こうしたことは、登山のパーティーでも同じことが言えます。登山では誤った判断が生死に直結することが多く、お互いの判断を尊重し合うために、前提としての信頼関係が重要です。
つまり、チームのリーダーには、「独りよがりの判断ではなく、チーム全体を考える」「チームの弱者を中心に据え、『いのち』を中心に考える」ことが求められているのです。そのようにメンバーが感じられる信頼関係を構築していくことこそが、チームを空中分解させずに対等な関係をつくるための土壌となります。