関東を流れる川を次々と整備
江戸は全国の中心都市へ
ミナカタ そうなんだ。利根川は、群馬県利根郡みなかみ町の山ふかくを水源としていて、今はそこから千葉県の銚子方面へ流れ、最後に太平洋に注がれている。群馬、埼玉、栃木、千葉、茨城、東京の一都五県にわたり、全長322キロメートル、流域面積では全国一の、日本最大規模の川だ。
これが当時は、千葉方面ではなく、江戸の江戸湾へと流れていたんだ。その利根川を、江戸へ流れ込む前に、ぐいっと曲げた。
ワタル すごいことをするなあ。
ミナカタ このプロジェクトの責任者を任されたのが、家康の側近の伊奈忠次(いなただつぐ)だ。
忠次は、まず、2年かけて関東平野の特徴や気象を徹底的に調べた。洪水を防ぐことができれば、豊かな農地が生まれる。さらに水の流れを利用して物流機能を持たせれば、江戸内で人や物が行き交い、江戸はどんどん発展するにちがいない。
「治水」と「利水」を同時に行うべく、1594年、空前絶後の大プロジェクト、「利根川東遷(とうせん)事業」が始まった。
メグル 洪水を防ぐことだけを考えるのでなく、水を活用し、江戸を発展させることまで考えていたなんて、すごいなあ。でも、川の流れなんてそう簡単に変えられないよね。
忠次は、以前、甲斐国を訪れたとき、武田信玄(たけだしんげん)が約20年かけてつくった「信玄堤(しんげんづつみ)」と呼ばれる、巨大な堤防の仕組みに驚かされたという。川の流れを岩にぶつけて弱めることで、水流をコントロールしていて、それまで甲府盆地を襲っていた大洪水を解消していたんだ。
忠次とその息子たちは、こうした武田流の治水技術を参考にしながら工事を進めていった。特徴的なのは、遊水地(ゆうすいち)を設けて、洪水が起こるとそこに水が流れ込むようにして水量を調整するなど、自然に逆らわないような工夫を所々に施したことだ。また、洪水などの災害情報を交換できるよう、川の流域に住む人たち同士のネットワークづくりにも力を入れた。

メグル これほどの大プロジェクト、一体どのくらいの期間がかかったの?
ミナカタ 約60年かかった。息子の伊奈忠治(いなただはる)たちにその後を託し、忠次は1610年に亡くなった。
忠治はのちに、急速な人口増加による飲み水不足に対応するため、江戸の遠く西側に流れる多摩川の水を引き入れるという、江戸の上水道整備のマネージャーになる人だ。
利根川東遷事業をきっかけに、関東を流れる川が次々と整備されたことで、関東平野は作物がよく育つようになり、江戸の街の繁栄を支える巨大な穀倉地帯(※)へと発展する。
※穀物を豊富に産する地域(『大辞林 第四版』より)
水上交通が高度に発達した江戸は、多くの人や物が行き交うようになり、全国の中心都市へと成長していくんだ。
メグル 関東の地ならしが、現実のものになったんだね。
ナラティブ・エディター。広告/IT企業や複数の出版社を経て、現在は、オンラインメディア、書籍、雑誌、漫画などのさまざまな分野とメディアで、物語に関する企画や構成、編集、執筆、ワークショップの設計等を行う。対象ジャンルは、歴史、IT、経済、建築、経営、法律、音楽、映画、アート、デザインなど。