
「天気」を軸に日本の「歴史」を振り返ることで、歴史を気軽に学びながら自然や環境への興味も掻き立てるように構成された書籍『空を見上げて歴史の話をしよう』。この中から今回は、利根川を東へ曲げるという驚くべきグランドデザインを描いた徳川家康の大治水事業を紹介します。

利根川を東へ曲げた
徳川家康のグランドデザイン
ミナカタ 江戸城の大規模改修と拡張、入江の埋め立て、水上交通や上水の整備─。100万人都市に向けて、急速に江戸は発展していった。同時に、家康はとんでもなく壮大な計画に着手していた。関東全体の地ならしだ。
ワタル 江戸だけでなく関東全体?
ミナカタ Googleの地図を開いて、表示を「地形」や「航空写真」にして東京からズームアウトしてごらん。

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関東の西側と北側は、箱根、富士、山梨、群馬に連なる山々に囲まれていて、東側と南側は海だ。関東エリアは天然の要塞なんだ。
でも、さっき話したように、北側の山から流れてくるいくつもの川と、南側の江戸湾の海がまじわるため、家康が来た頃は、関東は泥だらけの大湿地帯だった。江戸で雨が降らなくても、北関東で雨が降れば、それぞれの川が氾濫し、江戸に水が押し寄せてきた。
とにかくこの状況を何とかしなければ、水上交通や上水をせっかく整備しても、大雨や大雪のたびにマヒしてしまうし、田畑もつくれない。
ワタル 人々は安心して暮らせないよね。でも、一体どうするの?
ミナカタ 山から流れる川の中で、江戸に流れ込んでくる水量がもっとも多いのが、利根川だった。利根川は何度も洪水を起こし、流域に大きな被害を与えてきた。さらに洪水のたびに川の流れのルートが複雑に変わるため、対策も難しい。まさに暴れ川だ。この利根川を、江戸ではなく、千葉のほうへ曲げる計画を立てたんだ。
ワタル え、利根川って、めっちゃ大きい川だよね。この流れを変えてしまうってこと?