いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

「メンタルがいつも安定している人」が自然にしている考え方・ナンバー1Photo: Adobe Stock

正しい取っ手をつかむ

すべての事物には取っ手がふたつあるが、つかむべき取っ手はどちらかひとつだけで、もうひとつをつかんではいけない。
もし兄弟があなたに不当なことをしたなら、その不当なことという取っ手をつかんではいけない。
……もうひとつの、彼は兄弟で、ともに育った相手だという取っ手をつかめば、つかむべき取っ手によって出来事を把握することになる。
(エピクテトス『要録』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より

取引先との良い関係が突然終了した

 とてもいい関係を築いていた取引先があった。代表者とも社員の方とも仲良くさせてもらい、特別なお付き合いのように感じていた。私はお客さんやメディアを紹介して喜んでもらっていたし、しばらくの間ウィンウィンの関係だったのだ。

 ところが突然、その会社から攻撃を受けた。

 当時私はライターを雇用しており、彼女に実務を任せていたのだが、彼女のミスで大きな損害を受けたと言ってきたのだ。

 確かにミスはあった。資料の送付先を間違えたというようなミスだ。そのせいで見込み客を失ったという。

 私は内容を確認し、お詫びするとともに今後の対応を伝えた。菓子折りを持って謝罪にうかがった。

 正直、すべてこちらのミスで損害があったというのは無理がある状況だし、契約違反というようなことでもなかった。しかし、すごい剣幕でこちらのミスを指摘し、こちらへの債務をすべて支払わないと言うのだ。

 要するに、私たちがした仕事に対してお金を払わない、と。

 悲しいけれど、何か事情があったのでしょう、と思うほかない。私にできることは、ショックを受けているスタッフを守りつつ、淡々と処理をすることだけだ。

「外部はコントロールできないが自分はコントロールできる」

 こういうとき、私は「戦わない」と決めている。

 戦っても幸せになれないからだ。

「そっちがそうなら、こっちだって!」というのは、自分を貶める。自分はそんな人間だったのかと思って自分を好きでなくなる。高潔アピールをしたいわけではなくて、とにかく「戦う自分」がイヤなのだ。

 誰かを守るためなど、状況によっては戦わざるをえないこともあるのかもしれない。でも、できるならそれ以外の方法を見つけたい。

 ストア派の哲学者エピクテトスは、「正しい取っ手をつかめ」と言っている。

 相手が不当な取っ手をつかんでいるからと言って、同じように不当な取っ手をつかんではいけないという。面白い表現だ。イメージが湧く。

 そもそもストア哲学(ストイシズム)の根底には、「外部のことはコントロールできないが、自分のことはコントロールできる」という考え方がある。そして、自分の心のコントロールを極めるのがストイシズムの極意だ。

 あのとき、私はもうひとつの取っ手をつかんだ。これまで仲良くしてきた歴史があり、人間として嫌いではない、むしろ面白いところのある「兄弟」だという取っ手。関係が切れた悲しみはあったが、腹は立たないし、恨みのようなものは一切ない。いま思い出しても、「元気だといいな」というような、ポジティブな感情が出てくる。

 正しい取っ手をつかんで良かった。

 正しい取っ手をつかんで、自分の幸福を守りたいと思う。

(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)