
日本車の牙城だった東南アジア市場では今、中国・韓国EVの勢いがすごい。日産自動車は5年前にインドネシア工場を閉鎖したことで、販売店が中国EVに取って代わられている。ホンダとの統合が破談し、リストラ策でタイ工場も閉鎖するが、タイではスズキとスバルが工場閉鎖、ホンダも生産能力を半減する。さながら日系自動車の生産撤退ラッシュだ。インドネシアの自動車市場における変化が、近い将来タイでも起きる気がしてならない。(じゃかるた新聞編集長 赤井俊文)
なぜ日産はインドネシアで落ちぶれたのか
時計の針を巻き戻すこと2020年3月、日産自動車はインドネシアのジャワ島西部プルワカルタ工場を閉鎖すると正式に発表した。首都ジャカルタから車で3時間ほどの同工場で、主に「ダットサン」ブランドの「GO/GO+」を生産していたが、台数が伸びず収益改善の見通しが立たなかったのだ。
日産は00年代後半から10年代前半にかけては、インドネシア市場で“そこそこ”成功していた。特に07年に投入した小型MPV(Multi Purpose Vehicle、ミニバンやトールワゴンなどを指す)の「グランドリヴィナ」が人気になり、SUV「エクストレイル」と並ぶ主力車種だった。インドネシアは家族の人数が多く、ファミリーカーとしてMPVの需要が旺盛だ。日産にとってグランドリヴィナは、シェア拡大の足がかりとなった。
しかし、そんな成功も束の間。ライバルとの競争がどんどん激しくなっていく。もともと、トヨタ自動車がインドネシアでMPV「アバンザ」を軸に長くトップシェアを誇る。また、10年代にはダイハツ「ゼニア」、スズキ「エルティガ」、ホンダ「モビリオ」なども参入し、MPV市場全体の競争環境が一段と厳しくなった。こうしてグランドリヴィナの存在感は徐々に薄れ、日産の販売台数は右肩下がりへと転じる。
日産はSUVやセダン、商用車のラインナップもそろえていた。が、やはりインドネシアで圧倒的な需要があるのはMPV/小型車セグメントだ。インドネシア自動車工業会(ガイキンド)の統計によると、19年の日産の新車販売台数は1万2302台で、市場シェアはわずか1.2%。ライバルに負けたことで、大きく低迷してしまったのだった。
同時期、日産はグローバルでの事業最適化計画を掲げた。世界各地の不採算拠点を整理し、生産効率化と経営体質の強化を図るものだ。その一環として、東南アジアの生産拠点はタイに集約されることになった。さらに、18年にはカルロス・ゴーン元会長が逮捕され経営は大混乱。東南アジアでのリストラが進んだ。