自分の著作に出身地を載せない差別の背景
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なぜ作家の出身地は伏せられたのか?イラスト:塩井浩平

差別と戦い命を描いた作家・北條民雄

北條民雄(ほうじょう・たみお 1914~1937年)

ソウル生まれ。本名・七條晃司。代表作は『いのちの初夜』。高等小学校を卒業後、上京し、法政中学夜間部で勉強するなどプロレタリア文学を志すが、19歳でハンセン病を発症。東京・東村山のハンセン病療養所「全生病院」(現・国立療養所多磨全生園)への入院を余儀なくされる。病院から川端康成に作品を見てほしいと手紙を書き、作品を執筆。自身の経験をもとに書いた代表作『いのちの初夜』は、小林秀雄が「文学そのもの」と評するなど文壇から高い評価を得て、第2回文學界賞を受賞、芥川賞候補にもなった。作品集『いのちの初夜』がベストセラーになったものの、腸結核のため、その短い一生を23歳で終えた。

■北條民雄を知るために必要な視点

北條民雄と『いのちの初夜』についての理解を深めるには、まず「ハンセン病」について知る必要があります。

ハンセン病は、おもに皮膚と末梢神経を病変とする抗酸菌感染症で、かつては「らい病」と呼ばれていました。ノルウェイの医師が明治6(1873)年に「らい菌」を発見して、らい病(ハンセン病)が感染症だと判明しました。

■治る病でも続いた偏見と隔離政策

感染力は極めて弱く、遅くとも昭和35(1960)年には、特効薬で治療法が確立したにもかかわらず、ハンセン病患者は差別や偏見の対象となった歴史があります。

日本で昭和6(1931)年に「らい予防法」が成立し、ハンセン病患者の強制隔離が法制化されると、患者を収容するために隔離施設が設立されました。全患者が隔離対象となったのです(その後、平成8〈1996〉年にらい予防法が廃止され、隔離政策も撤廃されています)。

■ペンネームに込めた思い

ハンセン病を患った北條も、療養施設に入所しています。

北條民雄の本名は、「七條晃司」といいますが、ハンセン病患者が社会的な差別や偏見の対象となっていた時代、北條は本名だと家族に迷惑をかけると考え、ペンネームを使っていたのです。

■消された出自と、物語の背景

いま私の手元にある『いのちの初夜』(角川文庫)の奥付には「昭和47年3月の改訂版」とあります。つまり、50年以上も前に出版されたバージョンですが、そのプロフィール欄には、北條の生まれた場所や本名などの情報が書かれていません。

出身地については、「大正3年9月5日某県に生まれる」と書かれています。

※本稿は、『ビジネスエリートのための 教養としての文豪(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。