
三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第185回は、投資で「得する人」「損する人」の特徴を解説する。
損する人がやりがちな「余計なこと」
主人公・財前孝史が参加して1年。投資部は決算発表の日を迎え、部全体の年間リターンは36%に達した。40%という驚異的な数字をたたき出した財前は、個人成績に言及しない決算ミーティングに不満を持つ。
チーム全体のリターンに絞って単年の個人成績を議論しない投資部の伝統は、行動経済学の観点からも理にかなっている。
よく知られるように、運用成績をチェックする回数とパフォーマンスの間には負の相関がある。まめに運用成績を見る投資家は「負けがち」なのだ。理由は単純で、短期のマーケットの動きに心理が揺さぶられると、人間は余計なことをしがちだからだ。
株価が急騰すれば利益を確定したくなる。急落すればいったん売却してマーケットから離れたくなる。いずれもリスクを嫌う動物としての本能に近い行動だ。
長い目で見ると、そうした売買は適切なリスクテイクを阻害してしまう。本能を抑えるには投資哲学とある程度の経験が必要だが、「いっそのこと、見ない人」は心が揺れて選択を間違えることもないアドバンテージを持つ。
勤勉な投資家が「放置組」に負けてしまうのは理不尽に思うかもしれない。だが、投資の本質を見据えれば誤解は解ける。
投資とは、突き詰めると「リスクの引き受け手になること」だ。マーケットは誰かがリスクをとらないと機能しない。そして市場経済とは、誰もが敬遠したいリスクを引き受けた人が長期で報われるシステムでもある。
リスクとは「物事が一定期間、不確かな状態となること」であり、投資の世界なら「ある資産の将来の価値・価格がどうなるか分からない」のがその本質だ。
含み損・含み益は「残像」

株価がどれだけ上がるか、どれだけ下がるかは、誰にも分からない。「それでも買う」「それでも売る」という参加者がいなければ、マーケットは機能不全に陥る。
投資家の心理は利益と損失に連動して浮き沈みする。だが、一歩引いて経済全体の構図に目を向ければ、個々の投資家の損益と、円滑に市場経済が回るために必要なリスクの総量とは、まったく関係がない。
あなたが現時点でもうかっているか、損しているかは、マーケットの知ったことではないのだ。重要なのは「今、この時点で誰がどれだけのリスクを引き受けているか」に尽きる。
この視点で考えれば、投資家が注意を払うべきは「自分として適切なリスクをとっているか」に絞られる。
株式に当てはめれば、「保有株の総額がいくらか」と「それが適正規模なのか」が重要であって、含み損か含み益かは残像のようなものでしかない。損益に意味があるとすれば、価格変動リスクの目安になることくらいだろう。
トランプ政権が震源地となってマーケットの荒れやすい局面はまだまだ続くだろう。短期の運用成績に目を向けすぎると、心がすり減ってしまう。長期投資なら、最終結果が出るのは10年、20年、30年先だ。
目先の動きにとらわれず、自分が引き受けられるリスクはどの程度か、現在のポートフォリオはそれに見合っているのか、という視点で、腰を据えて資産形成と向き合う姿勢が重要だ。あれこれ面倒な方は、「いっそのこと、見ない人」になるのをお勧めする。

