三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第127回は「幸運」を手にするために欠かせない心構えを説く。
「ペニシリン」「ポストイット」を生んだ偶然
東京・足立区を「次に来る町」と見込んで訪れた藤田慎司は想像と現実のギャップに失望する。駅への道に迷う途中、和菓子用の木型を創る若き職人・小暮篤史と出会う。三軒長屋の借家から退去となれば伝統の技は途絶えると聞き、慎司の胸が騒ぐ。
日本語に訳すのが難しいセレンディピティ(serendipity)という言葉がある。イギリスの初代首相ウォルポールの息子にあたる政治家・作家のホレス・ウォルポールが編み出した造語で「意図したのとは違う『良き物』と出会う力」を指す。由来は『セレンディップの3人の王子』という童話。セレンディップはセイロン島、今のスリランカを指す。
実例を挙げるとイメージが湧きやすいだろう。
人類史上屈指の発明である抗生物質ペニシリンは、ブドウ球菌の培養実験の際、誤ってアオカビが混入したのをきっかけに発見された。
ポストイットもセレンディピティの代表例として有名だ。米スリーエムの研究者が強力な接着剤の開発中に接着力の弱い物質をみつけ、それが「貼れるけどすぐはがせる付箋」という画期的商品につながった。
「セレンディピティ」と「棚からぼた餅」の違い
作中で、慎司は当てが外れた訪問先の街・綾瀬でまったく予期しないかたちで木型職人の小暮と出会う。超合理主義者の慎司は、まるで価値観の違う小暮の話に引き込まれる自分に戸惑う。ストーリーは、この出会いが慎司のセレンディピティを示す流れとなりそうだ。
思わぬ幸運を引き寄せるセレンディピティは常人では得難い能力、もっと言ってしまえば偶然の産物のように見える。だが、今回の慎司と小暮の出会いには、それがただの幸運ではないというヒントが詰まっている。
ひとつは行動力。慎司は江戸の歴史や古地図、ニューヨークとの対比といった、やや頭でっかちな視点から足立区に目をつけたわけだが、スケボー片手に現地に足を運び、町を歩き回るという手間を惜しんでいない。自分が動かなければ、出会いはない。
観察力も欠かせない要素だ。通りがかりに「木型」の看板にひっかかりを感じて立ち止まったからこそ、小暮は慎司を工房に招き入れた。その後の会話でもポイントを突いた素朴な疑問をぶつけ、小暮という人間や伝統工芸としての木型の現状を的確につかんでいる。めまぐるしく移り行く「今」の中に違和感を持っていないと、発見を見過ごしてしまう。
そして恐らくもっとも重要なのは「考え続けること」だろう。慎司は別れ際に、三軒長屋の物件価格を尋ねる。価格は6000万円と不動産投資対決の資金枠5000万円を超えている。今回のケースなら、この「資金上限の壁」の乗り越え方を含め、「なぜ不動産に投資するのか」というテーマの根っこまで考え抜くことがカギとなりそうな気がする。
ペニシリンやポストイットのような大発見とはレベルが違うが、私も記者時代には予想外のネタ元からスクープのきっかけを得るような、ささやかなセレンディピティに恵まれたことがあった。似たような経験は読者の皆さんにもあるだろう。
ただのラッキーだったこともあったが、振り返れば、行動し、観察し、考え抜いていたからこそ、幸運の女神が微笑んでくれたのだと思える。セレンディピティと「棚からぼた餅」は似て非なるものなのだ。