動機としての支配

 ひろゆきは、議論において相手からどう思われるかということに、そもそも関心を持っていない。だからこそ彼は、相手から嫌われたり、怒られたりすることも、まったく意に介さない。それどころか、議論を有利に進めるために、意図的に不愉快な言動をして、相手からの嫌悪感を誘発し、相手を感情的にさせることもある。彼は次のように述べる。

 要はおいらの場合、怒らせる技も怒りをかわす技も、ちょっとした嫌がらせにしても「相手にどう思われてもいい。とりあえずどんなボールが返ってくるのか、面白そうだからやってみよう」とやってしまえるわけです。そして実際にやってみたら、けっこう自分の思いどおりのボールが返ってくるというわけです。

 彼にとって議論は、仮説を検証する遊びに近いものである。議論の目的が相手を論破することであるとすれば、相手がどのような言動をするのかを予測し、その一手先を読んで、相手を詰ませることができなければならない。どうやら彼は、議論が開始される時点で、相手の言動について一定の仮説を構築しているようだ。その仮説は、最初は開かれたものだが、やり取りを繰り返すなかで、徐々に限定された振れ幅のないものへと確証されていく。彼は、そのプロセスに面白みを感じるという。

 ただしそれは、議論の相手を理解するために行われるのではない。彼が関心を持っているのは、あくまでも第三者に論破を認めさせることであり、相手と互いに理解し合うことではない。したがって、こうした仮説の検証も、あくまで相手を自分が向かわせたい帰結へ、つまり相手が袋小路に陥って敗北する未来へ誘導するために、行われる。そしてそこに、彼が他者と議論しようとする動機がある。

 論理という道具を使うと、自分がどんなに不利な状況でも何とかなる場合があるということや、「自分のやりたいことを押し通すためには、この手を使うとけっこういける」ということに、おいらわりと早い段階で気づいていたと思います。

 そしておいらの場合、昔から自分の中で「思いどおりにしたい」という気持ちが強ければ強いほど、どうやら論破力が発揮されるようなのです。
ひろゆきはなぜ論破王と呼ばれるのか?「論破力」の正体を徹底解説『詭弁と論破 対立を生みだす仕組みを哲学する』戸谷 洋志 (著)
定価990円(朝日新聞出版)

 彼が「論破王」として振舞っているのは、多かれ少なかれ、討論番組においてその役割を求められているからだろう。しかし、そうした演出上の意図を差し引いたとしても、この点については、彼自身の価値観によるものではないか。つまり彼は、論理を駆使して相手を支配し、自らの目的を果たすことに、達成感を抱いているのではないか。

 なぜ、ひろゆきは相手を論破しようとするのだろうか。それは彼が相手を支配したいと欲望しているからである。彼の論破への動機はそこに存している。

戸谷洋志(とや・ひろし)/1988年東京都生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。専門は哲学、倫理学。法政大学文学部哲学科を卒業し、2019年大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。ハンス・ヨナスの研究で学位取得。2015年「人類の存続への責任と『神の似姿』」で涙骨賞奨励賞受賞。同年「原子力をめぐる哲学」で暁烏敏賞を受賞。2021年『原子力の哲学』でエネルギーフォーラム賞優秀賞を受賞。著書に、『Jポップで考える哲学――自分を問い直すための15曲』『ハンス・ヨナスの哲学』『ハンス・ヨナス 未来への責任――やがて来たる子どもたちのための倫理学』『スマートな悪――技術と暴力について』『未来倫理』『友情を哲学する――七人の哲学者たちの友情観』『SNSの哲学――リアルとオンラインのあいだ』『親ガチャの哲学』『哲学のはじまり』『恋愛の哲学』『悪いことはなぜ楽しいのか』『生きることは頼ること――「自己責任」から「弱い責任」へ』『メタバースの哲学』『責任と物語』など。

AERA DIGITALより転載