
自分と異なる意見を持つ人と対話する際、論破しようとしたり、単純に妥協案を探ったりすることは多いだろう。ただ、それでは本当の解決にはなっておらず、どこかモヤモヤが残ってしまう。そこで必要なのは、「メタ正義感覚」である。経営コンサルタント・思想家の倉本圭造氏が解説する。※本稿は、倉本圭造『論破という病「分断の時代」の日本人の使命』(中公新書ラクレ)の一部を抜粋・編集したものです。
“言っていること”ではなく
“存在意義”と向き合う
「メタ正義感覚」は、相手が持つ正義も自分が持つ正義も、両方を尊重する世界観です。お互いに敬意を持つところからスタートしないと、ただの罵りあいにしかならないからです。
しかし、こういう風に話すと、「ただ足して2で割った妥協策」みたいなものを想像する人が多いのですが、それは全く違います。
どう違うのか?どうすればいいのか?ここではそれを説明していきたいと思います。
お笑い芸人コンビ「ロザン」のYouTubeチャンネルで、私の前著『日本人のための議論と対話の教科書』(ワニブックスPLUS新書)を紹介してくれたことがあります。
ロザンの宇治原史規さんと私はほぼ同世代で同じ京都大学の隣同士の学部出身なので、そういう縁もあって気に留めてくれたのかもしれません。
本の内容をシリアスに取り上げて議論するような内容ではなかったのですが、お二人はお笑い芸人ならではの本質を掴むセンスから、
「相手の“言っていること”ではなく、相手の“存在意義”と向き合うこと」
……という部分が「メタ正義感覚」のコアではないか?という話をされていて大変私も勉強になりました。