いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

幸せな状態とは?
努力の末に、地位、名声、報酬など成果を手に入れることは素晴らしいとされている。
たとえば、「成功してチヤホヤされたい」と漠然とした目標を語る人もいれば、もう少し実用的に「大金を手にするのが夢」と語る人もいる。
小説を書いている人なら、作品が評価されて賞をとるとか100万部のベストセラーになるといったことは、誰が見ても「幸せな状態」に思える。
でも、「本当にそれこそがもっとも幸せか?」と考えてみると、実際にはそうではないのかもしれない。
ストア哲学者のセネカは、「作業に没頭すること自体が喜びであり、完成した喜びはそれほど大きくない」と言っている。
フローに入る
しかし、傑作が完成して作業から手が離れたときに感じる喜びは、それほど大きなものではない。完成してしまえば、楽しむ対象は芸術活動の成果となるが、絵を描いているあいだには芸術活動そのものを楽しんでいたのである。(セネカ『ルキリウスに宛てた道徳書簡集』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より
人は社会から、成果を出すことに喜びを見出すよう仕向けられている。
受験や仕事では、「成果はないけれど面白い」というわけにいかない。成果が報酬になる。
しかし実際は、作業自体に没頭できることこそが幸せなのかもしれない。文学賞をとった作家さんも、「賞をとった」ことよりも、「夢中でその作品を書いていた」ときのほうが幸せだったのではないだろうか。
私も仕事に没頭している状態は楽しくてたまらなくて、作業が完成すると幸福感がうすれることがよくある。そして、その仕事が評価してもらえるかどうかはまた別の話だ。もちろん評価してもらえたら嬉しいが、そうでないことだってある。
「作業に没頭できていることこそが報酬であり、それを目指していい」というこのセネカの言葉は、そんな自分の背中を押してくれるように感じる。
人生はアート
『STOIC 人生の教科書ストイシズム』の著者は、セネカの言葉について、次のように補足する。
注意の矛先を成果から引き離し、行動そのものに大きな喜びを見出すと、生きるという創造的なプロセスに深く没頭できるようになる。(同書)
真の一流は、人生全体をすばらしい作品にすることを欲するのだ。
そして、一つひとつの行動に注意を向けて、理想的な人生を築いていくプロセスに喜びを見出す。すなわち「生きる喜び」である。
これからは仕事だけでなく、日々の行動一つひとつに熱中して楽しむ、という意識でやっていきたいと思う。
(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)