いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

「ミスをしないのが一流」と考えるのは半人前。では、頭のいい人はどう考える?Photo: Adobe Stock

大人になっても失敗だらけだが……

 小さいころ、大人はすごいと思っていた。

 子どもと違って失敗をほとんどしないのだと思っていた。

 時計を読み間違えたりしないし、飲み物をぶちまけたりしないし、おねしょもしないように見えた。自分も大人になれば失敗しないようになるのだと思った。

 ところが、自分が大人になってみると失敗だらけである。かろうじておねしょはしていないが、その他はいまでもやっている。

 むしろ、失言で人間関係にヒビを入れる、無駄遣いをして首が回らなくなる、酒を飲みすぎて周囲に迷惑をかけるなど、失敗の深刻さが大きくなっているようにも見える。

 だが、もちろん学んだこともある。

 誰でも失敗するということ、多少の失敗では死なないということ。

 それから、自分の失敗の傾向を把握すれば、少しは失敗を減らせるということだ。

 ストア哲学者のエピクテトスは、「注意をして、数回でも過ちを避けることができたならそれでOK」ということを言っている。

間違いから十分に学ぶ

では、どうすればいいのか?
過ちから完全に解放されることは可能なのか?
いや、それは不可能だが、つねに過ちの回避に努めることならできる。
つまり、注意を絶対に怠らないことで数回でも過ちを避けることができれば、それで満足しなければならないのだ。
(エピクテトス『語録』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より

 ストイシズムの中心的な教えに「自分でコントロールできることに集中せよ」というものがある。

 いくら努力しても、「結果」を完全にコントロールすることは不可能だ。

 気をつけたつもりでも失敗することはある。完璧な人間はいないから当然だ。

 しかし、自分の意見と行動はコントロールできる。「間違ったことを絶対にしないぞ」と思い、気をつけながら行動をすること自体はできる。

 エピクテトスは、「人は完璧にはなれないかもしれないが、それでも完璧を目指すことには価値がある」と言っているのだろう。「自分はどうせダメだ」などと思う必要はない。

 厳しさもあるけれど、ちゃんと救いがあるのがストイシズムのいいところだ。

 ミスは起こるということを理解しつつも、それでも完璧を目指すのが一流だ。そうして理想に向かって淡々と努力し続けることが、ストイシズムが説く「よく生きる」ことの実践なのだ。

(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)