いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

職場で「尊敬される人」と「バカにされる人」たった1つの違いとは?Photo: Adobe Stock

集中しないのがかっこいいという思い込み

 小さい頃から美術系の習いごとに通い、学校では美術クラブに入っていた。

 本気の美術部ではなく、週に一回程度のクラブ活動のほうだ。

 絵を描くのが好きでアート作品を見るのも好きだったが、高校生くらいの頃は「集中しないのがかっこいい」という謎の意識を持っていたようだ。

 適当にやったらいい作品ができちゃったんだよね。……みたいな。

 美術の授業もクラブ活動も毎回楽しみなくせに、適当にやっていた。

 絵を友だちに見せて「うまいね」と褒められたとき、「あー、でもこれ、あんまり時間かけてないけど」などと鼻を高くして答えたら、

「どうして集中しないの?」

 というストレートパンチを食らった。

「…………」

 急激に恥ずかしくなった私は黙った。二匹の鯉が泳いでいる絵だったが、その絵をもう見たくない。自分が「かっこよさ」をはき違えていることを、突き付けられたようだった。

 自分の作品がそこそこでしかないことはわかっていた。いま思うと、絵を描くのが好きだったからこそ、集中して頑張ってもうまくならないという現実に向きあうのが怖かったのかもしれない。

 でも、たとえうまくならなかったとしても、集中して時間をかけて頑張ればよかった。後悔している。

 ストア哲学者のエピクテトスは、何事にも集中すべきだと言っている。一つひとつの行動に注意を向けるようにし、エネルギーを注ぐのだ。

絶えず注意を払う

なぜ絶えず注意を払おうとしないのか?
「今日は遊びたい」というなら、注意を払いながら遊べばいいのではないか?
「歌いたい」というなら、注意を払いながら歌えばいいのではないか?
……注意を払うせいで悪くなることや、注意を払わないからよくなることが何かあるのか?
注意を払わない人のほうがうまくいくということが、人生において存在するとでもいうのか?
(エピクテトス『語録』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より

 仕事も遊びも、注意散漫にやるより集中してやったほうがいい。

 仕事に関して「ほどほどでいい」などと公言する人がいる。自分ではそのスタンスがかっこいいと思っているのかもしれないが、職場ではまわりから軽視されてしまうだろう。それよりも、つねに一つひとつの仕事に全身全霊をかけて集中する人のほうがカッコよく、尊敬される。

 一方で、プライベートのときはプライベートに集中すればいい。キャンプ場で火をおこしながら中途半端に仕事のことを考えるよりも、目の前の焚き火台に注意を向けたほうが楽しめる。

 ストイシズムでは、過去や不確かな未来のことに振り回されるのではなく、「いま」に意識を集中するように説く。そうすることで、人生のすべての瞬間を意義のある時間にするのだ。

 仕事でもプライベートでも、改めて一つひとつのことに意識を向けてやっていこうと思う。

(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)