【解説】キャリアにおける「事故」を成長の糧に
志賀直哉が体験した山手線の事故は、私たちのビジネスキャリアにおける予期せぬ挫折や困難のアナロジーと捉えることもできます。
順風満帆に進んでいたプロジェクトの頓挫、理不尽な人事異動、あるいは信頼していた相手からの裏切り。こうした「事故」に遭遇した時、ただ茫然と立ち尽くすのか、それとも直哉のように内省を深めるのかで、その後のキャリアは大きく変わります。
直哉が「なぜ自分は死ななかったのか」と自問したように、私たちも「この失敗から何を学ぶべきか」「この経験が自分に何を教えているのか」と深く問い直すことが重要です。
ネガティブな出来事を単なる不運として終わらせず、自己の価値観やキャリアの方向性を見つめ直す機会へと転換する。その視点こそが、逆境を乗り越え、より強くしなやかなプロフェッショナルへと成長するための鍵となるのです。
経験を「物語」に昇華させる力
さらに注目すべきは、直哉がその壮絶な体験を『城の崎にて』という普遍的な価値を持つ作品へと昇華させた点です。
ビジネスの世界においても、個人の経験はそれ自体が資産です。しかし、その価値を最大限に引き出すには、経験を客観的に分析し、他者の共感や学びを呼ぶ「物語」として再構築する能力が求められます。
例えば、プレゼンテーションや交渉の場で、単にデータや事実を羅列するのではなく、自身の失敗談や成功体験を交えたストーリーとして語ることで、相手の心を動かし、深い納得感を生み出すことができます。
直哉が自身の生と死の体験を文学に結晶させたように、私たちビジネスパーソンもまた、日々の経験を自らの言葉で意味づけ、語れる「物語」にすること。それこそが、唯一無二の価値を創造し、周囲を巻き込んでいくリーダーシップの源泉となるのではないでしょうか。
※本稿は、『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。