嵩のモデル・やなせたかしは肉親との関わりが薄い
登美子は嵩ががんばって引っ越した広いマンションのことも小馬鹿にするし、いまだに代表作もないと言う。『手のひらを太陽に』が紅白歌合戦でも歌われて、テレビにも出演しているのだから、この当時の日本ではかなりの有名人だと思う。いったい登美子は嵩に何を求めているのだろう。
いや、こうやっていつまでも子どもを褒めない親はいる。そうして子どもの自尊感情を損なっていくのだ。なかには厳しくして調子に乗らせない教育方針の人もいるが、登美子はそういう感じでもない。
一方、羽多子は、貧しくてもいつも愛情やユーモアをもって娘たちを育んできた。だから、のぶはのびのびと好きなことをやってこられたのだろう。対して嵩はいつまでも自信が持てないでいる。
実母に自信を持たせてもらえない子・嵩はうじうじとし続けているが、屋村のような人がいてくれたから、創作の芽を育てることもできた。その芽は、あんぱんを運ぶおじさんの絵としてそっとしまわれている。
編集者に何か企画はないかと言われ、そのラフ絵を見せるが、反応は芳しくない。この絵が、空高く羽ばたく日は、いつのことやら……。
第111回の、実母と義母のエピソードを見ながら、千代子のことは呼び寄せようと考えないのかと気になってしょうがない。
やなせたかしの秘書だった越尾正子の著書を読むと、のぶのモデル・暢は、やなせの育ての親である伯母の話を聞いて、彼女に心を寄せていたことが感じられる。でも詳しくは記されていないし、あくまで伝聞なので物足りない。
他者の証言ではなく、もっと暢の気持ちを知りたい。彼女がほぼ何も残していないことがとても残念だ。
越尾の著書『やなせたかし先生のしっぽ〜やなせ夫妻のとっておき話〜』によると暢は彼女の実母を引き取って同居していたり、妹にやなせの会社の仕事を手伝ってもらったりしていたようだ。
やなせは、実母の死にも伯母の死に目にも会うことができなかったと書いているのは『アンパンマンと日本人』(柳瀬博一著 新潮新書)。
幼いときに父を亡くし、たったひとりの弟は戦争で亡くし、母との関係も複雑。肉親との関わりがなんだか薄そうなやなせたかし。彼をモデルにした嵩の家族関係はできるだけ薄くなりすぎないように気を配っている印象だ。
第23週のサブタイトルは「ぼくらは無力だけれど」(演出:柳川強)。肉親との関係性がうまくいかず、漫画家としてもヒット作はない嵩は、今週はどうなる?
