思春期の娘にとって、母からの愛情は何にも代えがたいものだ。シンガーソングライターとして活躍する北村早樹子氏のデビュー小説『ちんぺろ』では、母に愛されなかった姉妹が辿る末路が、生々しすぎるほどの筆致で描かれている。「一気読みした」「衝撃だった」との感想が絶えない本書から、一部を抜粋・再編集してお届けする。
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「心の汚さが全部身体に出るんです」
ママはあんまりわたしのことが好きじゃないみたい。
小さいながらにもしっかり感じ取っていた。この人は自分にあまり興味がないのだなあ、と。
三歳のときにはじめて連れて行かれたバレエ教室は、放課後の幼稚園の講堂で開かれている小さな教室だった。建物は古く、部分的に床が抜け落ちそうになっていてぎしぎしと鳴り、冷房も暖房もあまり効かず、夏は暑く冬は寒かった。
先生はすこぶる怖ろしかった。それは叩かれたり怒鳴られたりして怖ろしい、とかいう単純な怖ろしさではなくて、子ども心を傷つける天才とでもいうのだろうか、心理的に生傷をえぐりつけてくる怖ろしさだった。きっと先生は、わたしが母親からの愛情に不安を覚えていることをうすうす感づいていたのであろう。そこをピンポイントでめためたに傷つけてきた。
「あんなに立派に働いて育ててくれているのに、あなたはお母さんへの感謝が全然足りない。感謝するどころか恨んでいるでしょう。そういう醜い歪んだ心が踊りからにじみ出ている。心が醜いからあなたはお母さんに愛されないんです」
バーレッスンに励むわたしの背後に回って、先生はこの言葉を繰り返し耳元で囁くのだった。
「あなたはいつもだんまりを決め込んでいて、何もばれていないつもりなんでしょうけれど、踊りを見ればすべてお見通しなんですよ。心の汚さが全部身体に出るんです。あなたの肩の歪み方も、膝の曲がり方も、全部心の汚さの表れなんです。あなたがお母さんを大切に日々感謝して暮らしていないこと、わたしには全部ばれているんですよ」
この呪いの言葉はその後十二年間、わたしが中学を卒業して留学するまでの間ずっと耳元で囁かれ続けた。最初はこの呪文がただただ怖ろしかったが、だんだんと不思議な気持ちが芽生えてきた。母親と同じくらいの年齢のこの女の人は、どうしてこんなにも他人の自分に執着し、母との関係についての念仏を、こんなにも執念深く唱え続けるのだろうか。他の生徒たちへも同じようなことをしているのだろうか。
年に一度の発表会の日に全生徒が市民ホールに集結した際、わたしは愕然とした。みんな同じ表情をしている。小さい子も大学生も、美人も不細工ものっぽもチビもみんな同じ表情をしている。大人になってテレビでとある新興宗教団体のドキュメント番組を見ていて、はっとした。バレエ教室のみんなと同じだった。そうか、あれは洗脳だったのだ。少女の心の不安につけこむ洗脳教育だったのだ。クラシック音楽に乗せて念仏を吹き込む、まさに洗脳にはもってこいのシチュエーション。わたしはバレエ教室で十二年間みっちり洗脳を受けた。究極の母親コンプレックスチルドレン育成プログラムを受け続けたのだ。
お母さんに愛されないのはあなたの心が醜いせいだ。わたしは心が醜い、その呪いをなんとか振りほどこうとして、わたしはバレエのレッスンに励んだ。鏡に映る自分を隅々まで観察し、美しく、気高く、厳かでしなやかに見えるように毎日レッスンのあとも稽古場に残って自習し、誰よりも努力した。



