三菱重工業の宮永俊一新社長の出身母体であることから、産業界での注目度が上がった三菱日立製鉄機械。2000年10月に三菱重工業と日立製作所の事業部門が統合して発足した第1号事例であり、世界の“鉄鋼メーカーに納める製鉄機械”に特化して事業を展開してきた。製鉄機械40年の山崎育邦社長が沈黙を破る。

やまさき・やすくに
1949年、広島県生まれ。73年、慶応義塾大学工学部を卒業後、三菱重工業に入社。最初は広島造船所のシステム部門に配属されたが、3年後に自ら希望して製鉄機械部門に移る。2000年10月、三菱重工製鉄機械設計部長。02年4月に三菱日立製鉄機械広島事業所長に転じ、米国三菱日立製鉄機械社長を経て、06年4月より三菱日立製鉄機械の代表取締役社長に就任する。モットーは「謙虚であること」で、仕事の後には赤ちょうちんでの一杯を好む。
Photo by Shinichi Yokoyama、三菱日立製鉄機械

――5月21日、将来的な経済成長が見込まれるインドの製鉄機械事業へ本格的に参入すべく、「連続鋳造設備」で納入シェア1位のコンキャスト社を買収する話がまとまりました。連続鋳造設備は、鉄を溶かしたお湯(溶鋼)を凝固させてビレット(鋼片)などの半製品に加工する専門設備です。三菱日立製鉄機械は、これまで「その後に来る圧延工程」(下工程)に専念してきましたが、今回、自らその前の段階へと踏み出した狙いはどこにあるのですか。

 ベースにあるのが、会社の規模を拡大してきたいということです。

 そのために必要な方策は、二つ考えられると思います。

 まず、既存の事業領域でシェアを伸ばしていくこと。次に、私たちが補足できていない領域を取り込んでいくこと。どちらかと言うと、今回の買収は後者であり、これまで弱かった部分を補うことに狙いがあります。

 簡略化して言いますと、製鉄メーカーが使う製鉄機械の世界は、鉄鉱石などの原料を溶かして溶鋼を造る「上流」、そこから固まった鋼片を造る「中流」、それらを最終製品にする「下流」の3領域があります。私たちは、下流で使う製鉄機械に特化してビジネスを展開してきました。要は、今後は下流から中流へ出て行き、さらにその先の上流へ行きたいと志向しているということです。

――あまり知られていませんが、三菱日立製鉄機械の海外売上高はすでに85%を超えており、売り上げ規模では世界の4強に入っています。他の3強は、すべて欧州メーカーとなりますが、彼らと比較してどのような弱みがあるのでしょうか。

 競争入札では、たいてい4社での争いになります。