「すべてはこの一冊から始まった」「星野リゾートの成長は、この本の教えなしでは実現できなかった」。星野リゾート代表の星野佳路氏がそう語る一冊が『1分間顧客サービス』(ケン・ブランチャード著)という1994年に邦訳された名著だ。今回、その新版が星野氏の監訳によって『熱狂的ファンのつくり方 〈新版〉1分間顧客サービス』としてリニューアルされた。今回は、その刊行を記念し、星野氏が本書にどう影響を受けたのか取材した。(取材執筆:前田浩弥、構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

「すべてはこの一冊から始まった」星野リゾート社長が“バイブル”と語る名著星野リゾート代表の星野佳路氏

お客様の要望をどこまで取り入れるべきか?

――『1分間顧客サービス』で語られているメソッドが、星野リゾートの成長にどのように寄与してきたのか、教えていただけますでしょうか?

星野佳路氏(以下、星野) 私は、ホテル経営学を学ぶためアメリカ・コーネル大学に留学した1984年から、本書の著者であるケン・ブランチャード教授の論文や著書を読み漁っていました。人材学の教授に勧められた『1分間マネジャー』を読み、ケン・ブランチャード理論の面白さに一気に引き込まれたのがきっかけです。

『1分間顧客サービス』、当時読んだ英書「Raving Fan」に出合ったのは、私が実家の星野温泉旅館を引き継いで2年後のことでした。

当時の星野温泉旅館は、料理やサービスの質が低くて顧客満足度も芳しくなく、一方でスタッフの離職率も高くて、問題が山積みでした。そのような中で『1分間顧客サービス』が刊行され、私は飛びつき、本書を教科書として、そこに書かれていた「三つの秘訣」を愚直に実践したのです。

――三つの秘訣とは具体的にどのようなものでしょうか?

星野 本書では、顧客に選ばれるための秘訣として、次の三つを紹介しています。

<第一の秘訣>自分は何をしたいのかを決める
<第二の秘訣>顧客の望みを見極める
<第三の秘訣>一歩先を提供する

マーケティングを勉強した多くの人は、顧客のニーズをまず見極めようと、「<第二の秘訣>顧客の望みを見極める」からサービスを設計することが多いと思います。しかし『1分間顧客サービス』では、それよりもまず「<第一の秘訣>自分は何をしたいのかを決める」ことの大切さが語られています。そうすることで、顧客に何を提供すべきかの取捨選択の基準が生まれるのだと言うのです。

ここで私がとくに大切にしている教訓は、「仮に顧客が望むことであっても、それが『自分は何をしたいのか』の範囲外なのであれば、必ずしも実行する必要はない」ということ。「お客様は神様だ」と考えていた私は、ケン・ブランチャードのこの考え方に衝撃を受けました。そして「三つの秘訣」を愚直に実践した結果、星野リゾートでは「熱狂的ファン」に支えられる多くの施設を運営することができています。

「部屋にテレビを設置しない」という決断

――「顧客が望むことであっても、自分のビジョンの範囲外であれば実行しない」というのは驚きですね。星野リゾートにおいては、それを具体的にどのように実践されたのでしょうか。

星野 たとえば、2005年に「星のや軽井沢」を開業したときのことを思い出します。これは、1991年に私が引き継いだ星野温泉旅館を改築したリゾートホテルです。

コンセプトは「谷の集落に滞在する」。浅間山麓の自然に囲まれ、日本の原風景を想起させる山あいの中で、「西洋の暮らしに迎合しすぎない日本があったとしたら」「和の文化が熟成を重ねながら、利便性や効率性を追求していたら」といった仮想の世界を思い描いています。

その世界観に浸っていただくために、「星のや軽井沢」では、部屋にテレビを設置していません。

テレビの映像や音は、空間を都会へと戻してしまいます。都会とはまったく違う「谷の集落」の滞在に浸り切っていただくためには、テレビはないほうがよい。そう考え、思い切って、テレビを設置しなかったのです。

――高単価の宿泊施設にテレビを置かないという決断は、かなり勇気がいることですね。

星野 はい、とくに当時はまだスマートフォンが普及していなかったので、部屋にテレビを設置しないことは、リゾートホテルの常識からは大きくかけ離れていました。顧客ニーズからサービスを考えるならば、絶対にテレビは外せません。事実、開業から1年ほどは、クレームや要望もたびたびいただきました。

しかし開業から1年ほど経ったころから、そうしたお客様の要望はピタリとなくなりました。時間が経つにつれ、「谷の集落に滞在する」というコンセプトに共鳴してくれる人だけが、予約をしてくれるようになったのです。業績も好調になりました。

――本書で繰り返し出てくる「熱狂的ファン」が生まれた瞬間ですね。

星野 「マーケティングの原則は顧客のニーズに応えること」と考えていたころの私では、「部屋にテレビを設置しない」という発想は絶対に生まれなかったと思います。

「自分は何をしたいのかを決める」ことからスタートする。つまり、顧客にどう過ごしていただきたいかというビジョンからサービスを設計することで熱狂的なファンをつくれるのだということを、私は『1分間顧客サービス』から学びました。

「顧客のニーズ」ではなく「提供したいビジョン」からスタートしたサービスこそ、大きな差別化要素となり、ブランドとしての力につながっていくのだと実感しています。

(本稿は、『熱狂的ファンのつくり方』(ケン・ブランチャード/シェルドン・ボウルズ著、星野佳路監訳)に関連した書下ろし記事です)