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アルゼンチンで現金を使うたび、紫がかった100ペソ札に描かれたアルゼンチンの元ファーストレディー、エバ・ペロンのほほ笑みが、同国の“光と影”を静かに語りかけてくる。連載『美しき衰退』#7では、ミュージカルや米映画「エビータ」でも描かれた、貧困を抜け出し「国民の母」へと駆け上がった彼女の物語をたどりながら、再分配と緊縮の間で揺れ続けたアルゼンチンの70年を振り返る。(ノンフィクションライター 泉 秀一)
100ペソ紙幣に描かれた女性
今でも「アルゼンチンの母」が人気の理由
アルゼンチンで現金を使うたびに、ふと手が止まる。
紫がかった紙幣の中央に描かれている横顔の女性が、どこか印象的だからだ。100ペソ札に印刷されているのは、エバ・ペロン。「エビータ」の愛称で知られる、アルゼンチン史におけるシンボル的な存在だ。
アルゼンチンの「100ペソ」に描かれた、エビータことエバ・ペロンの肖像画 Photo by Hidekazu Izumi
インフレが日常となり、すぐに貨幣価値が変わってしまうこの国で、エビータのほほ笑みだけは変わらない。
100ペソは大した価値を持たないが、それでも紙幣に刻まれたエビータの姿には、いまも多くの人の記憶を呼び起こす力があるように思える。
エビータはかつての大統領夫人、ファーストレディーであり、「アルゼンチンの母」として語り継がれてきた人物だ。しかし、彼女が国民から愛された理由は、大統領夫人という肩書よりも、「貧しい人々の味方」として認識されてきたからである。
1919年、エビータは地方の小さな町に私生児としてこの世に生を受けた。幼い頃に父親を失い、学校に通うこともままならなかった。そんなエビータは貧困から逃れるかのように、16歳で首都ブエノスアイレスに移ると、美貌を生かしてモデルや女優として生きる道を選んだ。だが、成功というには程遠く、時には高級売春婦として日銭を稼いだといわれている。
しかし43年、左派政治家、フアン・ペロンとの出会いによってエビータの人生が一変する。ペロンに見初められて愛人となった後に結婚に至り、46年にペロンが大統領に就任すると、エビータは有力政治家の妻という枠には収まらずに自ら活動した。
貧しい家庭にはベッドを届け、靴がない子どもには靴を買った。職を失った労働者の話を、長い列の最後まで一人一人聞いたという。しかし一方で、エビータ自身の蓄財や汚職の疑惑も浮上し、慈善活動も偽善的として批判された。それでも慈善的な大統領夫人として多くの庶民に慕われた。
わずか33歳という若さで、子宮頸がんにより他界するという“悲劇”の最期もまた、彼女をアルゼンチンにおける伝説的な存在に仕立て上げているのだろう。
しかし、エビータが単なる偉人の一人に収まらず、今もなお「アルゼンチンの母」として語り継がれている背景には、もっと深い意味があるように思える。
貧困から抜け出し、権力の中心へと駆け上がったその軌跡は、アルゼンチンという国が抱え続けてきた格差や不平等の象徴でもあり、「救われたい」と願う人々の切実な願いの投影でもある。
エビータは、アルゼンチン社会そのものを映し出す鏡なのだ。







