
アルゼンチン・ブエノスアイレス特別区のレティーロ地区にある3路線、三つの駅舎からなるレティ―ロ駅。そんな巨大ターミナル駅の裏手に位置しながら、地元民の多くが一度も足を踏み入れたことのない場所がある。同国最大最凶のスラム街「ビジャ31」だ。ブエノスアイレスの洗練された街並みのすぐそばに、およそ5万人が肩を寄せ合って暮らす現実がある。連載『美しき衰退』#5では、地元民に「絶対に行くべきではない」と忠告されたアルゼンチン衰退の象徴の地を潜入取材した。(ノンフィクションライター 泉 秀一)
「絶対に行くべきではない!」
地元民が警告するスラム街とは?
鼻を突いたのは、東南アジアやアフリカのスラム街を彷彿とさせるむせかえるような悪臭だった。下水と食べ物、そしてタイヤが焦げたような異臭が混じる。それは、これまでアルゼンチンの首都、ブエノスアイレスで体験してきた欧州風の洗練された街のそれとは全く異なる空気だった。
「ビジャ31には絶対に行くべきではない。何があっても、知りませんよ!」
ブエノスアイレスに住むアルゼンチン人たちは、スラム街を取材する筆者の計画を聞くと顔色を変えて制止した。現地の日系企業駐在員からも、もちろん同様の反応が返ってくる。地元民10人に尋ねても、9人は「一度も足を踏み入れたことがない」と答える場所、それがビジャ31だ。
本連載の第4回『「ミック・ジャガー」に憧れ「狂った経済学者」から「アルゼンチンのトランプ」へ…ハビエル・ミレイ大統領の半生から見える“正体”とは?』でも書いたが、ブエノスアイレスはマタンサ川を境にして市内と市外に分かれ、街並みが大きく異なる。市内は「南米のパリ」と呼ばれる欧州風の瀟洒(しょうしゃ)な街並みが続く一方、市外には貧困地区が点在し、さらに郊外に足を延ばすと今度は広大な農地が広がっている。
しかし、スラム街は何もブエノスアイレスの市外だけに存在するわけではない。市内最大規模のターミナル駅、レティーロ駅の裏側の東京ドーム約15個分(70万平方メートル)ほどの土地におよそ5万人が生活するスラム街「ビジャ31」がある。
地図で確認すると、その立地に驚かされる。高級住宅街のレコレータ地区からわずか1キロメートル、金融街のプエルト・マデロからも2キロメートルしか離れていない。ブエノスアイレスの中心部、それも最も洗練されたエリアのすぐ隣に、南米最大級のスラム街が存在しているのだ。

かつて、このスラムで頻繁に行われていた麻薬売買は、摘発が進んだ現在においてもなお水面下で続けられている。殺人事件も多発しており、強盗にいたっては日常茶飯事らしい。外務省のホームページには、筆者が足を踏み入れるほんの数日前、ビジャ31で日本人が強盗の被害に遭ったという情報が掲載されていた。5年前には日本人YouTuberが首絞め強盗に遭ったらしい。
面白半分で行くような場所では決してない。冷やかしのつもりが命取りになる。身ぐるみ剥がされるのはまだましで、命を落としても不思議ではない。本来であれば、足を踏み入れるべきではないだろう。
しかし、このビジャ31の現状を自分の目で確かめずして、アルゼンチンの衰退を語ることはできない。目の前に、これまでブエノスアイレス市内で見てきた欧州風の生活とは全く異なる、もう一つのブエノスアイレスが広がっている。外から覗(のぞ)くと、どうしても足を踏み入れたくなる不思議な魅力がある。
ブエノスアイレスでの取材の通訳で、どこにでもついてきてくれたタマシロ・ゴンザロ(通称:タマちゃん)も、ビジャ31だけは乗り気ではなさそうだった。家族や友人から強く止められたらしいが、筆者の熱意に負けたのか、最後は不承不承ながら同行してくれた。聞くと、10年以上前に1度だけ訪問したことがあるらしい。
「泉さん、絶対にいつもの格好で来ないでくださいね」
タマちゃんの忠告通り、なるべく目立たないように、いつものシャツにジーンズ、スニーカーといったスタイルから、古びたTシャツとサンダルに履き替える。カメラやスマートフォンも最小限にとどめ、現金も少額だけを持参。現地の人々から浮かないよう、可能な限り地味な格好を心がけてビジャ31に向かった。