「いつも、考えすぎて損してばかり!!」
日本人は礼儀正しくて、とても優秀……なのに、日々必要以上に思い悩んでいないだろうか?
「“究極の合理思考”を身につければ、もっと楽しくラクになる」――。数十億規模の案件に関わり、インド人部下オペレーションを経験したインド麦茶氏は、「常に自分中心」「短期志向」「無計画で今を生きている」ように見える彼らに「日本人が幸せを謳歌するための“ヒント”」を見出したという。
新刊『インド人は悩まない』では、人口14億・上位1%が富の40%以上を所有する超競争・過密・格差社会を生き抜く人々の「規格外の行動力」と「抜け目なさ」の秘密を紹介している。今回はその魅力の中から一部をお届けする。(構成/ダイヤモンド社・榛村光哲)
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インドの成長を下支えする「個人消費」
インドのGDP成長率は2025年7月から9月で、8.2%を記録した。
この国の成長を肌で感じる者として、今回の数字は実感とズレていない。
インドの成長は、旺盛な個人消費に支えられていると言われる。
マクロ経済学の基本的なモデルでは、生産されたものは、「消費」か「投資」されると考える。つまり、生産物は、現在の幸せ(効用)を得るために「消費」されるか、将来の消費のために「投資」される。「投資」されたものもいずれはさらに大きな生産物を生み出し、最終的には「消費」されることで、幸せ(効用)を生み出す。
結婚式に950億円かける大富豪
この単純な原理原則から分かることは、「消費」という行為がいかにマクロ経済において根源的なものかということだ。
インドの消費意欲は留まるところを知らない。職場の20代の若者と話すと、毎月10万円くらいの手取りしかないのに、「将来ランボルギーニを買いたい」と真顔で言ってくるし、ボーナスが出ればそれを頭金にして新しいバイクを買って、その写真を自慢してくる。
インドの結婚式ではどれだけ金をかけて見栄を張れるかが重要で、大富豪ムケシュアンバニの結婚式には、なんと950億円がかけられ、パーティにはジャスティンビーバーが招待された。これだけ成金趣味を披露すれば、社会的な批判を食いそうだが、インドの人々は、「アンバニならば、それくらいかけても不思議ではない」という感覚を持っていた。とにかく底なしの消費意欲がこの国のマクロ経済を牽引している。
「足るを知ろうとしない」インド人
ところで、インドを発祥の地とする仏教の経典を読んでいくと、「足るを知る」ことの必要性を説いている箇所がいくつも存在する。
1の幸せを、10、100、1000と増やしていってもきりがないし、そのせいでマイナス10、マイナス100のように大きな不幸が増えて行っても人生は苦しい。だからこそ幸せも不幸もゼロに近づけるような教えが仏教の考え方にはある。その文脈の中で「足るを知る」という言葉が語られる。
さて、現代のインド民の様子を見ていると、「足るを知ろう」とする素振りはまったくない。貪るように消費を拡大していく現代の様子を見たらブッダも頭を抱えるであろう。裏を返せばそれだけ消費に対する根源的な欲望がインド民のなかで強いからこそ、ブッダは「足るを知る」重要性を説いたのかもしれない。
ひたすら自分の幸せを考えるインド人
世界的な経済的混乱でブレーキがかかるかまで、インドの消費と経済は拡大していくはずだ。彼らに文化的なストッパーはない。2000年以上前にブッダが、「足るを知る」と言い、彼らをたしなめたはずなのに、一切変わらない無限の消費意欲と、ひたすら自分の幸せを考えるその思考がインドの経済成長を支えている。
『インド人は悩まない』では、インド民の生活や生き方から、日々「考えすぎ」て、自分の人生を生きられていない日本人こそが学ぶべきメンタリティや技術を解説している。これまであなたが見たことがない彼らの社会を覗いてみると、きっと新しい扉が開くはずだ。
(本記事は『インド人は悩まない』の一部を抜粋・調整・加筆した原稿です)









